葉月ちゃんからコメントをもらいました。葉月ちゃんは、ダンスやドラムのクラスを受講している女の子です。医学を専門としていて、わたしの書いた「マイケルの死」のブログに書いてくれたのです。彼女の言いたいことは分ります。けれど、彼女の心配は日本特有の環境から来ているのかもしれない、と思いました。
要するに、日本は単一民族と言われていて、ほとんどがモンゴロイドかポリネシア系なので、肌の色や髪の色、そして体型にそれほど顕著な違いはありません。しかも島国で全体的に閉鎖的。ですから、異質なものとの遭遇があまりありません。けれど、アメリカは多民族国家であり、様々な人種が住んでいます。NYでは170の言語が話されているというほどですから、多種多様なひとびとと考え方が混在しています。ところがわたしは最初、NYから遠くないコネチカット州というところにいました。そこで、徹底的にエリート教育を受けたのですが、周りは白人ばかりでした。有色人種は「わたしだけ」。ものすごい世界でした。世界有数のお金持ちと、彼らの繰り広げる社交界と人間模様を経験しました。その中でわたしは、とても特異な存在。
そこにいる間は英語しか話さず、日本語を使うこともありませんでした。NYに出たとき「お前一体どこから来たの?」と驚かれたくらいです。わたしの英語と態度が白人の上流社会のものだったからです。それが後にいろいろな場面で役立つのですが、まだ幼かったわたしはそのことには気付いていませんでした。ただ、コネチカットにいた間は、自分がひとりだけ白人でないことに違和感を感じていました。いつかこのことは書いたような気がするのですが、ある日、鏡の自分を見てビックリしたのです。
「え・・この小さなアジア人は誰?」
「え〜、わ・た・し?ウソ〜〜〜!」
本気で仰天しました。
だってね、周りは白人ばかりでしょう。自分の目に映るのは自分以外がいる世界なのです。分ります?人間って自分のことは自分では見えてないのです。だから、わたしは白人ばかり毎日見て、白人ばかりと過ごしていたので、自分の姿がアジア人であることを忘れていたのです。いえ、頭では覚えていたかも知れませんが、とにかく、見えないものですから、久しぶりに等身大の自分を鏡で見て、ひっくり返ったわけです。
その時、自分が「誰であるか」というのを強烈に意識しました。
マイケルは、そのもう何十倍も自意識が高かっただろうと思います。彼は、もともとハンサムな黒人です。しかし、アメリカ社会は白人が牛耳っていますから、上に行けば上に行くほど、白人の力の強い国です。わたしがいた場所もアメリカでトップの上流社会でしたが、マイケルも売れたことによって経済的にはアメリカ社会の上澄み部分に入ったのですが、社会的そして精神的にどうしてもその世界には所属できなかったはずです。まず、白人社会のほうが拒絶しますから。難しかっただろうと思います。
ですから、わたしはマイケルが白人願望を持ったとしてもある意味、ごく自然なことだったと思います。彼はアーティストですから、周りのエネルギーにも敏感なはずですからますますだったでしょう。周りと一体化したい、受け入れられたいという願望はあって当然だと思います。そして、ポップの帝王とまで呼ばれるようになったのには、もちろん、彼のエンターテイナーとしての才能もそうですが、色が白くなったから、という要素はどうしても否めないと思うのです。それが、彼の肉体と精神を蝕んだとしても、、、、この人種の壁の大きい時代において、そして幼少時代に辛い思い出のあった彼に残された選択肢はそれほど多くはなかったことでしょう。ですから、確かに悲劇ではありますが、簡単に非難できることではなく、だからこそアメリカ社会から完全に抹殺されることもなかったのだと思います。多くの人が彼の痛みを理解したのだと思います。
ほとんどのアメリカ人が人種の壁に生涯で一度以上ぶつかりますが、そのことを幼い頃から実感として感じ、長い間悩み続けたのが、現アメリカ大統領のオバマ氏です。彼の伝記を読みましたが、白人と黒人の間に生まれた彼は、自分の居場所を見つけることができずに随分荒れたこともあったと書かれていました。そして、彼の心情は痛いほど分ったのでした。わたしも、ずっと居場所がこの世界のどこにもない、と思ってきた人間ですから。しかし、敢えて、白人にも黒人にも、そして無理に日本人にもなる必要はない、わたしはわたし、と結論しましたが、それは、わたしには知名度もなく、周りに守られていましたし、マイケルほど幼い頃からプレッシャーを課された人間でもなかったから出せた結論だったのかも知れません。これだけ社会に軋轢のある中で、鏡の中の自分を受け入れて愛するのは、非常に困難なことです。
日本にいると、自分は誰か、と考えさせられる機会が少ないように見受けられます。それはそれで良いのかも知れません。ただ、葉月ちゃんも書いているように、単にマイケルに整形や漂白の噂があるというだけで、もし、彼へのアーティストとして、そして、ひとりの人間として人生を歩んできたことへの敬意が損なわれるとしたら、それは、あまりにも無知すぎますし、安易であると考えます。彼は時代の苦しみと希望の両方を現したひとだと感じます。今、国際首脳会議がイタリアで行われていて、日本代表の麻生さんが嬉しそうに始終ニヤニヤしている映像が流れていますが、この人が情勢を見極めた国際政治をしているようにはどうしても見えません。政治家から一般市民まで、これから日本も、もっと広い世界を知らなくては立ち行かない時代に入ってゆくだろう、と感じます。そしてなにより、自分が誰であるか、ということを問わずにして、鏡の中の自分を受け入れることは不可能なのではないでしょうか。
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