このところ怒濤のような日々を過ごしてきたせいで、こころも体も疲れきっています。昨日は夜中までレコーディングの歌入れをしていました。昼間は別件で走り回っていました。今日も、やることは沢山あるのですが、ちょっと夕方まで休みたい・・そう思って、玄米粥を食べ、洗濯機をまわしながらボンヤリ外を眺めていました。
先に手洗いしたTシャツ1枚、風に揺れています。隣りの家の風鈴の音が聞こえてきます。そして、風はまるで熱帯地方。梅雨なのですが、梅雨というよりは、東南アジアの雨期のような空気を連想させる日がこの頃多くあります。今日もそんな日。夏の午後の匂いがする。強い日差しの庭を眺めながらソファの上に体を横たえていると、なんだか寂しくなってきました。
誰かに抱きしめてもらいたいとか、泣きたいとか、話しがしたいとか、そんな寂しさではありません。昨日も一日中誰かかれかと過ごしていましたし、電話一本すれば話しを聞いてくれるこころ優しき友人たちも家族も幸いいます。けれど、そう言うことではないのです。ただ、なんとなく、こころの底の底のほうで、むかしむかしの、もう忘れたような、言葉にもできないような傷がふと蘇る。ただ、存在していること自体がなんだか寂しい。そんな寂しさなのです。
子供のころから夏は嫌いでした。日差しを浴びて健康的に走り回る・・そんな人が羨ましかった。わたしときたら、食欲はなくなるし、げんなりするし、そして、いつもこころのどこかが寂しかった。生まれてくる前からの記憶なのかも知れません。幼い頃の記憶かも知れません。ただ、成長するにつれ、だんだん自分で工夫するようになり、夏には慣れました。特にアメリカに行ってからは嫌いじゃなくなりました。ビーチクラブやヨットクラブやバーベキューが、わたしのセンチメンタリズムを飛ばしてくれたのでしょう。でも、今日、突然、夏の匂いをかぎ、なんとも言えない寂しさが襲ってきました。
インドの医学では、人間は皮膚のすぐ下にすべての記憶をとどめているといいますし、どこだったかの医学では、総ての細胞に生きてきた(あるいは、前世からの)総ての記憶がある、とも言われています。平生意識にないだけで、実はわたしたちはその記憶にかなりの部分支配されているのだろう・・・ふと、そう気付いたのです。
きっと、疲れがとれてしばらくすればまた違う気分になるのでしょう。違う記憶と細胞が活性化することでしょう。それまで待とう。この今のわたしもわたし。そう思いながら、相変わらず風に揺れるTシャツをひとり眺めています。
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追記:アメリカへ戻る予定でいました。向こうに今年から再び居住するつもりでした。そのことをごく一部のひとには知らせてありましたが、諸事情が重なったため、延期となりました。しばらくは日本に住むこととなりそうです。アメリカとは往復しますが、拠点は当分日本となると思います。・・なんて言ってまた変わるかも知れませんが(笑)とりあえず、当初の予定の「この夏から向こうに戻る」というのは今はキャンセルとなりましたので、この場所をかりてご報告申し上げます。
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