都議選の投票に行ってきました。投票場所はいつもと同じ近所の小学校。今回は初めて、夜行きました。そしてとても懐かしい気持ちになりました。
そこには闇があったからです。運動場にはなにひとつ灯りはなく、遠くの体育館から漏れてくる明りだけが頼りでした。闇の中を、互いにぶつからないように、投票場へと向かいました。それが、なんとも懐かしかったのです。
わたしは昭和に生まれ、昭和に育ちました。アメリカにいるうちに気付いたら平成になっていて、平成の気分はいまだにつかめないままです。昭和には、まだ闇があったと感じています。故郷は大分との県境の気候の穏やかな、自然の恵みの豊かなところでした。夏になるとあちこちの家で提灯が下がり、盆がやってきました。初盆の家は、庭に裸電球がつながったものが下げられ、太鼓がなり、歌が始まり、盆踊りがありました。その地方の昔からの地主であった我が一家は、一軒一軒をまわって挨拶をしました。それぞれの家には屋号のようなものがあり、「ご隠居」「かわらや」などと呼ばれていました。わたしも連れて行かれました。あまり行きたくはなかったんですけどね。大人はとかく挨拶がながいものですし、あちこち慣れない下駄で歩き回って疲れたのです・・。でも、ひとつだけ好いことがありました。葡萄です。
初盆の家の仏壇にはいろいろなものがあがっていました。落款や果物やご飯。横にはくるくる中の模様がまわる美しい提灯。そして、そこにはわたしの好物の夏の果物、葡萄も必ずあったのです。みんなそれを知っていてくれ、というよりわたしが葡萄に穴が開くんじゃないかというくらい見つめるので(笑)、家をまわっては「はい、嬢ちゃんどうぞ」と仏壇から葡萄を頂き、帰り着く頃には浴衣の帯がきつきつになるほど葡萄でお腹はいっぱいでした。そんなに食べるものじゃない、お行儀の悪い、と帰る道々さとされても、毎年同じことを繰り返した幼い頃でした(へへへ)。
そして、裏の小さな祠のあるところでも、毎年盆踊りがありました。太鼓を叩くのも笛を吹くのも、歌を歌うのもひとがいつも決まっていて、土地の名手でした。太鼓はおじいさん、笛はおじさん、そして歌は小さなおばあさんが歌っていました。その歌はどこかもの悲しく、ゆったりとしていて、そして優しいものでした。太鼓を真ん中に皆で輪になって踊りました。わたしは、踊り疲れると、板の間に上がってその歌を聞きながら眠ったものでした。
裸電球の下で踊るひとたちの長い陰。祠の向こうの果てしなく続くと思えた漆喰の空間。死んだものを悼み懐かしむ大人たち。そして、太鼓と笛とおばあさんの歌声。そこには、闇がありました。わたしは、それを恐れると同時に、眠りながら感じた親戚のおばあさんたちの膝の温もりと、送ってくれる団扇の風とともに、どこか親しみをも感じていたのでした。
今、平成には、闇がなくなろうとしています。盆踊りの会場は賑々しく灯りが灯され、音楽はキンキン録音音楽が鳴ります。そして、24時間のコンビニがどこにでもあり、マックがあり、ケンタッキーがあり、ネットカフェがあり、、、あまりの明るさに、空の星さえ見えません。そして、行き場を失った闇が人間のこころの中に忍び込み、呑み込もうとしています。多くの若者の起こす無惨で一見意味もなさない犯罪や殺人は、彼らが本当の闇とその対岸にある温もりを知らないことから起こっているのではないだろうか。
ふと、そう思ったのでした。
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