なんだか、朝起きたとたんから気分が優れない一日でした。もう、なにもしたくな〜い、と思い、すべてがネガティブに感じていました。疲れすぎていたのかも知れません。そのわりには、やることが多くて・・・。で、不機嫌なまま一日を過ごし、やっと長い一日を終えて家に戻ってきました。
体もこころもクタクタで、あ〜、と深いため息。クローゼットを開けて着替えを出そうとしたら、以前母から借りて返し損ねていたTシャツが出てきました。それを見たとたん、突然、ホームシックになり、母に会いたくなりました。なんだか泣きたくなりました。幼い頃、学校で嫌なことがあったり、話したいことがあったりした、そんなときを思い出しました。夜遅いので電話はできません。それでも思いました。「あぁ、まだ母が生きていて良かった。」
以前、クラスを受けにきていた写真家の男性の方から、写真展の誘いがありました。彼の父親がなくなったそうです。その軌跡をたどった写真展だそうです。このところ忙しい日々ですが、時間を見つけて見に行きたいと思っています。(@Roonee 坂巻正志 『骨を拾う』)
あなたの親は生きているでしょうか。仲良くしているでしょうか。ありがたみを感じているでしょうか。親も人間ですので、欠点もあれば、嫌なところもあるでしょう。でも、親の存在というのは、ありがたいものだとわたしはつくづく思っています。特に外で鈴虫の鳴くこんな静かな夜は・・・。どこかで元気に生きてくれているだけで、ほっとするものです。
それにしても、親にしても、ほかの先人たちにしても、信頼できる年上のひとというのが少ない時代です。わたしは、世の中で「あぁ、やはり長く生きているということは素晴らしいものなのだな。」と思わせてくれるひとが少ないことに哀しみと不安を覚えています。列に並んでいても横から割り込むひとや、人間として尊敬できない態度をとる年寄りたちが少なからずいます。また、若い人たちの批判をする年寄りも多くいますが、若者は年寄りの鏡であり、年寄りの姿を反映しているだけだとも感じます。
世の中が崩壊している理由のひとつは、本物の「年寄り」が少ないかではないでしょうか。人間にはよりどころや、目指す明かりが必要です。やはり、戦争で智慧者が沢山死んでしまったからでしょうか。それとも、戦争自体が多くのひとのこころを壊してしまったからでしょうか。しかし、自分もかならず年をとるのですから、日々成長したいな、と思うのですが、なかなかの試練です。
コメント