でかけるつもりで用意しましたが、生理になり、疲れが一気に出てきたのでソファの上で30分ほど爆睡しました
わたしは、自分のソファが大好きです。
今もソファの上で横座りになってこれを書いていますが、この上でぼんやりしていると、踊りの振り付けや、歌詞やメロディが浮かんできます。
魔法のソファです
机につくと、あんまり考えられない性質です。
学校生活は最悪でした
学校にソファがあったら良かったのにね。
なんてどうでも良い話しは置いておいて・・
冬至ですね、今日。
一年でもっとも夜が長くて昼の短い日。
そして、これからどんどん昼が長くなる日の境目。
年の中でも神聖な日のひとつです。
クリスマスはもともと冬至が起源だと言われています。
人間の歴史はキリスト誕生よりはるかに長く、この時期をクリスマスと呼ぶようになったのは人類史上ではごく最近のこと。
クリスマスのクリスは、キリストの英語読み(クライストとも呼ぶ)、マスはひとが集まること、儀式のことです。(ちなみに、マスメディアのマスと同じ語源。)
日本では、クリスの思想を信じないのに、なぜかクリスマスを祝います。
日本人の異宗教に対して寛容なところは大好きですが、信じない宗教を祝うところに妙な印象を受けるのです。
少し話しは変わりますが、日本人にとって聖人は、なんの穢れもなく、悪いこともしない人、というイメージがあるようです。
なにかにつけて「僕は聖人君子じゃないから」と言ったりしますし、例えば、先日、ガンジーのことを教育テレビで取り上げていて、解説者が「彼には、珍しく人間的な苦悩もある親近感の湧く聖人」と言っていました。
でも、聖人こそが苦悩深いものです。
だって、悩まなくては、苦しまなくては、聖なるものになんてなりえません。
傷付くこともなく、欲望に振り回されて苦しむこともなく、ただひたすら単純なひとは聖人ではなく、自分の欲望に疑問を抱かないか、鈍感かで、そういう人には、ほかの人の苦しみを理解する気持や悟りの精神を生むのは非常に難しいことでしょう。
ガンジーが女性との関係のありかたと性欲に悩まされた話しは有名ですが、あ〜ら、クリスだって娼婦を買ってたわよ・・とわたしはテレビに向ってひとりごちました(笑)。
ブッダだって女遊びを含めた贅沢三昧をし、いろいろな欲と妄想に振り回されたあげくに悟りを拓いたのです。
彼は牡牛座なので、相当物理的な欲望はあったはず。
クリスも山羊座なので、権力や名誉への欲望もあったでしょう。
最初からなかったら、苦しまなかったら、聖人にはなれなかったことでしょう。
だって、捨てることで初めて悟りが生まれるのですから・・・。
聖人モハメド(イスラム教)の誕生日を知りませんが、3大一神教のうちの2つの宗教の教祖が、土の星座(物理的欲望を現す)のひとであることは象徴的だと思います。
闇が濃いぶん、ひかりが明るいのです。
端的に言えば、泥の中でも咲く花が聖人で、清流でしか咲かない花はただの人ということでしょうか・・。
それに、聖人君子は読んで字のごとく、人であり、神の子であり、神ではないのですから、苦悩多き存在なのだと思います。
なんにしろ、相変わらずわたしは日本ではクリスマスとは関係なく過ごしています。
もともとキリスト教信者でも、一神教を信じるわけでもないのですが、なによりそこに、魂が宿っていない気がするからです。
クリスの苦悩も、修行も、壮絶な最期も、犠牲の精神も、教会の空気も、そこに集う人々の歌声や祈りも、闇に浮かぶロウソクのひかりも、キリスト教の栄光と闇の部分も・・・すべて、「クリスマスセール」というひと言で終わってしまう感じに、どうも、歯が浮いてくる感じがするからです。
ただ、今日は、深くて豊かな闇の夜。
人類が長い長い間、神聖としてきた日。
生理中なので柚風呂には入れませんが、からだは聖なる日。
闇に血を流し、からだと魂の浄化を願いたいと思います。
動乱の一年でした。
世の中全体も、そしてわたしにとっても。
静かに振り返りたいものです。
あなたはこの闇に、この一年のなにを見るのでしょうか。
そして明日から少しずつ広がるひかりの世界に、どんな希望を託すのでしょうか。
コメント