帰国日が決定し、今月中には帰国することになりましたので、29日(土曜)のクラスは行います。詳しい内容は以前のお知らせを見てください。21日分、キャンセルになりすみませんでした。
みんなで楽しく踊りましょう
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わたしには子供がありません。多分、持つことはないでしょう。まぁ、人生は奇なるものですから、どうなるかは分りませんが・・。でも、子供や家族っていいもんだな〜と思います。そう、一日を外で過ごして戻ってきたら、子供たちがベッドで本を読んでいたりすると、つい、一緒にゴロンとしてしまいます。そして、子供たちがニコ〜って歓ぶと、わたしも嬉しくなります。
別に自分の子供じゃなくってもいいから、みんなで一緒に過ごせるといいな、と思います。ひとりで子供を育てるのが大変なお母さんもいるだろうし、共働きで大変なひともいるでしょう。わたしのように忙しくて子供を持つ余裕はないけれど、子供がすきで、ときには子供の面倒をみるのも悪くないと思っているひともいるでしょう。
みんなで一緒に時間とこころとを分かち合えば、みんなで協力し合いながら生きれば、子供は誰の所有物でもなくって神さまから人間みんなへの贈りものだと思って一緒に育てれば、きっと、世の中、もっとまぁるくなるんじゃないか、って思います。明後日は、またここのボクが半ドンなので、迎えに行って午後を一緒に過ごします
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先日、地下鉄に沢山のチベット人がいました。中国による侵略から50年。僧侶や尼を中心に何十万のひとびとが虐殺され、国の最高責任者のひとりであるダライラマがインドに亡命を余儀なくされて長い時間がたっています。それに対する、抗議デモであり、アメリカのひとびとへの支援を求めるデモでした。マンハッタンの南部に位置するユニオンスクエア(広場/公園)でデモは行われました。
ちょうどユニオンスクエアを見下ろすカフェで食事をしていたら、隣りにデモが終わって休憩にきたチベット人のおばさんたちが座ってきたので写真を撮らせてもらいました。むっつりとした表情になったので、「こんな写真でいいかしら?」と言ったら、「構わない。だって、わたしは怒っているのだから」と返事がかえってきました。確かにそうです。一方的に武力で侵入してきて「今日からここが我々の国の一部となった。お前たちの信仰する宗教は汚れたものだからすべて棄てよ。さもなくば、殺す。」と言われたら・・怒って当然です。
でも、中にはアイドル並みに可愛い女の子たちもいて、笑顔でした。どこの国にも文化圏にもいろいろなひとたちがいて、時代の影響も受けているのだな〜と、思いました。(可愛いでしょう?)そして、こんな可愛い子たちが、ただその国に生まれ、両親と祖先が信じる信仰を信じるだけで国を去ることを余儀なくされるのは、なんて愚かしいことなんだろう,とも思いました。
わたしがNYを好きなのは、住み慣れているというだけではなく、多くの文化やひとに触れることができるからです。英語で言うと、diversityがあるのです。世界にはいろいろなひとがいて、それぞれの文化があり、それぞれの考え方や思いがある、ということを大前提にこの街は動いているからです。「日本が一番」と多くの人が日本では当たり前に言うのを聞いて、ビックリしたことがあるのですが、ここでは誰が一番であるとか二番であるとか・・内向的かつ排他的なこと言いません。そんなこと、いまここにいるチベット人に向って言ったら、チベット人はなんと言うでしょうか?「じゃ、わたしたちは何番?で、その基準はなに?」ですよね・・・
昨日は生理がきてしまい、まったりとした気分だったので近くのスーパ−に買い物にゆき料理をしました。わたしがいまいるのはセントラルパークのすぐ北で、ハーレムの入り口です。ギニアやセネガルやジャマイカのひとたちもいて、大通りにはアフリカやカリブ海のレストランも軒を並べています。そしてスーパ−には、トロピカルな食べ物が並んでいました。例えば、写真に載っているやたら多きいパパイヤ。スイカほどの大きさがあります。アメリカ南部やカリブの人たちが食するものです。それから、セネガルではビサップと呼ばれ、ジャマイカではソレルと呼ばれる、ハイビスカスの花。これは、生姜やほかの香辛料とともに煮出して飲み物にします。わたしは化粧水に入れます。ビタミンCが豊富なのです。他にもギニアでよく飲んでいたVimtoというソーダや、メキシコの大きな辛子などもありました。ダウンタウンのスーパ−では見られないものです。正直のところ、初めてハーレムのスーパ−に昨日入ったわたしは、ちょっと感動しました。あ〜、トロピカル〜〜。
アメリカは食べ物がまずい、というひとがいますがNYは例外です。(LAも結構美味しいらしいですけど)NYでは、世界中の美味しいものが食べられます。そして、世界中のいろいろなひとと出会い、いろいろな才能を知り、いろいろな価値観や思いを知ることができるのが、この街の素晴らしいところです。
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1番上は、日本だったらアイドルグループになりそうな可愛いチベットの女の子たち。背中のロゴを写真にとろうと思って、携帯電話を取り出したら、気配を察知して振り向き「はいポーズ!」可愛い・・それにしても、気配をすぐに察するのはさすがです。アフリカの人も気配を敏感に察知します。
2番目は、地下鉄の中。ちょうど、目的地が同じだったのでどんどんチベット人が増えたのでした。彼らの心中を思い、わたしは涙が出そうになりました。
3番目は、カフェのおばさん。写真を撮らせてもらったら、オバマとダライラマの2ショットの写真の載ったハガキをくれました。二人ともわたしの好きな人たちなので、宝ものが増えました。
小さい写真がスーパ−で買った食べ物。世界で一番辛いといわれている、ハラペーニョペッパーの生も売っていてました。これは、南米、アフリカの人々が食べます。そう、わたしが昨晩作ったのは、ギニア/セネガルのピーナッツシチューでした。
一番下が、チベットのデモが解散し始めたユニオンスクエア。カフェから撮りました。典型的NYの景色のひとつです。
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ギニア国立バレエ団の若手ダンサーです。伝統的なステップから最近のファンキーなステップまで軽やかにこなし、素晴らしい踊り手であり、講師です。実は、この先生のクラスでアキレス腱を約2年前に切ってしまい、ちょっとトラウマになっていました(苦笑)。でも、いまはありがたいことに回復し、楽しく受けさせてもらっています。断然、必見のクラスです。・・って必見のクラスばかりですが・・・ホントにみんな素晴らしくてこの街は恵まれています。
1番上がクラスの様子。この日は、ソリとドゥンドゥンバでした。3番目は奥さんのエイドリアン/ファトゥさんと。
イスマエル先生のHPはコチラ。
この中のドゥンドゥンバパーティのYou Tubeビデオでは、モコさんも演奏しています。わたしもこのパーティにはいました。ユスフ先生のお子さんのパーティでした。(その時のブログ)
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Ismael Kouyate ダンスクラス
毎週水曜 午後7時〜8時半 @Mark Morris Studio
毎週金曜 午後7時半〜9時 @PMT Dance Studio
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同じシチュエーションでした。そう、怪我をしたときと。怖かったです。
昨日は、ママディ・サノさんの火曜のクラスでした。怪我をしたときと違って(あのときは遅くなって準備体操を逃した)時間通りに到着したのですが、ママディさん、ものすごいスピードで最初から飛ばし、準備体操も準備体操ではない状態になり、わたしのふくらはぎは温まっていませんでした。それでもどんどんクラスは進み、しかもラインになって踊るときになると「マクタ!一番前。」とママディさんがわたしを指名するのです。彼の最近のスタイルには慣れていないし(新しくなってから通算5回くらいしか受けたことがない)、体は温まっていないし、一番前は勘弁してください、って断ったのですが、ものすごい勢いで「Makouta, Won Gai!」(マクタ、レッツゴー!)と言われ・・・
NYのダンスクラスでは、ラインの一番前というのはクラスのペースを決めるための重要な位置です。踊れるひとがやらなくてはならないし、スピードも集中力もなくてはなりません。手本にもなるので責任もあり、プレッシャーもあります。以前のわたしは平気で一番前でよく踊っていたのですが、昨日は正直、恐怖でした。怪我をしたときと似た状況だったからです。あのときも、まだ体が温まっていないのに、しかも慣れていない先生だったのに「一番前!」と言われて渋々行って、渋々踊っていたら怪我をしてしまったのです。そのときの先生はママディさんではなかったのですが、同じギニアダンスのクラスでした。ちょっとドキドキしました。あ〜、また怪我しちゃうかも〜・・・。周りを見渡して、代わってもらえそうな人はいないか探しましたが、運悪くいませんでした。
それで自分に言い聞かせました。「これは、どうも逃げられないようだ。リラックスしよう。できないステップがたとえあったとしても、無理はしないでおこう。ダンスすることに集中しよう。」
クラスは難しかったです。とにかく、慣れていないし、早いし、複雑で・・・でも、なんとかやりこなしました。終わったときはものすごい安堵でした。
馬から落ちたら、すぐにまた馬に乗るのが一番の治療法だということわざがあるように、わたしも、同じような状況を経験することが必要だったようです。しかも、怪我をしたNYで。NYのギニア人たちはとにかく容赦がありませんが『マクタ、前!』と、あの強さで押されたわたしは、今思えば幸運でした。
おかげさまで、随分すっきりしました。失われていた自信が回復してきたようです。正直のところ、まだ日本に帰る気分ではありませんが、帰って踊り、リハーサルを再開するのに大きな峠を越えたような、そんな気分です。
怪我をしてちょうど1ヶ月半くらいの足。手術後、痛み止めを飲まなかったために異常に痛かった・・・。戦争で傷付いた人たちのことが思われて、病院のベッドで泣いたのを思い出します。それにしても、体に傷がつくとこころも傷つくことをつくづく思いました。
怪我をした左足のほうが随分細ってしまいました。たった、1ヶ月ちょっとで人間の体ってこんなふうに変わるんだ、と驚きました。未だにまだ少し左のほうが細いです。怪我をするのは一瞬ですが、回復するには時間がかかります。それでも、努力を続ければ回復するのが人間のようです。この長い闇の時間は苦しかったですが、いまは、それも大切な贈り物だったように思います。
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また、満月となります。今度はおとめ座の満月です。魚座の太陽に照らされています。余計なものが溜まっていたりすると、整理したくなるかも知れません。イライラしちゃうかも知れません。なにか型にはまりすぎたり、怖がっていたりすると、そこから開放されたくなるかも知れません。
わたしは、昨日本屋さんでPema Chodronの本*を新しく買いました。薄くて美しい本ですが、瞑想の仕方が書かれています。彼女の1ヶ月の瞑想ワークショップのスピーチを納めた本です。分りやすい語り口調の文体ですんなりと入ってきます。今朝、ごちゃごちゃしてきたスーツケースの前で座り込み、いろいろ物色しているうちに瞑想がしたくなり、この本を取り出しました。そして静かに座っているうちに、こころがふわ〜〜〜っと広がってきて、いろいろ許せないと思っていたことや、悲しいと思っていたことが、溶けて、ほどけて、そして胸が広がり、こりかたまっていた体とこころが開放されて行くような感じでした。
おとめ座は正義感が強く誠実なのですが、つい観念的になり「正しい」「正しくない」とものごとを区別し、壁を作ってしまいがちです。わたしも、自分の中にあった観念を静かな呼吸とともにゆっくりと魚座の太陽のエネルギ−の中に放って行ったのでした。
そのあと、シャワーを浴びて昨日入手したバラの花のクリームとバラの花のエッセンシャルオイルを使ったホホバオイルを体に塗りました。おとめ座は、医療も現します。気付いたら多忙になり勝ちな生活の中で、ささくれ立ちそうになる肌をいたわりたくなったのです。そして、自分に愛を与えることにしました。
バラの花は美しいだけでなく、そのエッセンスにはいろいろ効力があります。ただ、美しいものというのはとかくそういう傾向がありますが、虫が付きやすいので無農薬のものが少なく、質の良いものはどうしてもお値段が高くなるのがすねの傷ですが・・。やっぱり、地球上の人口は減らなくてはみんなが豊かに暮らすのは難しいな〜とも思いながら、この香り高い植物の栄養をいただきました。
昨日は、久しぶりにダウンタウンのオーガニックレストラン、アンジェリカキッチンで食事をしましたし、ハードなダンスの間に自分をいたわることにこの1日は時間を費やしました。胃腸の調子をみたりするのにも、おとめ座は良いときです。みなさんも、体調やこころの調子を振り返り、こりかたまっているところや、整理されたほうが良いところがあったり、涙が流したかったりしたら・・・存分にされるのが良いと思います。
良い満月の夜が過ごせますように。
ドイツの会社Welldaのフェイシャルクリーム。手のひらに載る位の小さなサイズですが、こちらの値段で20ドル以上するので、オーガニック系のクリームにしたら高いですが、普通の化粧品にしたらそうでもありません。左は、エッセンシャルオイル。バラの香りがふわ〜〜っとして癒してくれます。ホントはバラは次の満月、天秤座のシンボルフラワーなんですけれど、このところ、ずっと緊張の高い状態が天上でも地上でも続いているので、いたわるのは大切だと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・魔女
*Pema Chodron The Wisdom of No Escape and the Path of Loving Kindness
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つくづく思いました。このひとがわたしの最初の先生で本当に良かった・・・。アフリカンダンスをやることになったきっかけは、ユスフ先生のクラスを偶然見かけてしまったのが始まりでした。もう、ずっと昔のことです。それ以来多くの先生にも教わりましたが、ユスフ先生のクラスを欠席したことはほとんどありませんでした。そして、日本にも二度ほど一緒に行きました。本当に良かった。なんという幸運だっただろう・・そう思いました。
いま、世の中が荒れ狂い、みんな、新しいスタイルに翻弄されているなか、ユスフ先生は着実でした。もちろん、とてもクリエイティブな方なので、ステップに変化はつけます。けれど、ソリのリズムにセウルバのステップを入れたり、ドゥンドゥンバにマネのステップを入れたりはしません。既存の伝統的ステップの中で、新しい組み合わせやエキサイティングな振り付けをするのです。しかも、本当にチャレンジングで楽しく、独創的です。
2クラス続けて受講したのですが、1つめは基本クラス。かなり渋いステップ(名前を忘れました・・)を着実にやっていました。刺激が好きなNYのひとたちは「面白くない」と不平を漏らしていましたが、わたしは、基本に忠実な素晴らしいクラスだと思いました。ドラムのリズムがかなり難解で、それを聞いているだけでも楽しいものでした。残念なのは、多くのダンサーが音楽に耳を傾けないことです。それをしていれば、あれは、非常に楽しいクラスだったはずだとわたしは思います。
2つめは上級者向けクラス。ソリとソコとドゥンドゥンバをやりましたが、複雑で気の抜けないステップが次々に現れ、とっても刺激的で楽しいクラスでした。Youssoufu Koumbassaの王道、NYでしか経験できないクラスでした。お陰で写真を撮るのを忘れてしまい、最後の最後のこれしかありません。みなさんにはすみませんが、それほど集中していたし、気も抜けなかったし、楽しかったということです。
ユスフ先生はわたしの人生の中の贈りもののひとつだと思いました。そして、あらためて神さまに感謝したのでした。
ギニア人とアメリカ人のドラマ−が勢揃い。久しぶりのユスフ先生のクラスとあって、来れる人はみんな集まったという感じでした。写真には映っていませんが、実はダンサーも沢山いました。2つめのクラスには、踊れる男性陣も6人くらいいて、それも花を添えていました。昔なじみの多くの人たちとも再会できたクラスでした。
そういえば・・・『ギニアで沢山の日本人が日曜の僕のワークショップを受けにきていた。みなさんにヨロシク。』と言われました。
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エルトレインが入ってきた。気付いたら、飛び乗っていた。
本当はダンスクラスに行くつもりだったけれど、なぜか地下鉄の出口から出ないで、エルに乗りたい、という衝動にかられてしまった。もう、何年も乗らなかった。すくなくとも、ブルックリン行きには・・。なぜってそこはわたしが住んでいたところだったから。過去を振り返るのはもともとあまり好きではないけれど、ブルックリンの場合は怖かったのかもしれない。珍しく長い間同じところに住んでいたし、思い出が詰まり過ぎている。でも、前に進むために見ておこう、と突然思った。
Grahamアベニュー駅で降りた。昔からのスーパーマーケットも、99セントストアも薬局もそのままあった。足は自然に前住んでいた家に向った。駅から数十秒のところにある。角を曲がったら目の前にあった。こんな大きな家に住んでいたのか・・と改めて思った。そう、一軒家にわたしは住んでいた。6年くらいいたけれど、最後はほとんどひとりだった。二階建てで、広いリビングとダイニングの他に四つ寝室があり、ジャクジー付きの大理石張りのお風呂、吹き抜けのガラスの天井、20帖以上あるデッキ、トイレは三つ、お風呂は二つ、暖炉付きで、食洗器、洗濯機、乾燥機、大きな冷蔵庫、もろもろ全部ついていた。
そこから日本に戻ったときはカルチャーショックが大きかった。もともと田舎の出身で大きな家が普通だったのもあったのかも知れないけれど、東京の貧弱な住居環境には驚かされた。過去を振り返ると今があまりにも惨めに感じると思ったのかもしれない。NYを離れて日本に戻ってから一度も、そう、ただの一度も戻らなかった。
けれど今日、突然、本当に突然、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。
わたしの住んでいた昔の家の窓は開いていて、中を見ることができた。ひとがいたので、ベルをならせばきっと入れてくれたことだろう。けれど、少し見ただけで十分だった。家は同じだが置いている家具も違い、すでにそこはわたしの家ではなかった。すぐに隣りに行った。このお隣とは仲よくさせてもらっていた。イタリア人一家で、しょっちゅうパスタやイタリアンスープを食べさせてもらい、悩みがあると聞いてもらい、家事のやり方を教えてもらったりした。そして、子供たちはいつもわたしの家にいた。
夏は広いデッキでビキニで日焼けをしたり水浴びしたり、冬は暖炉でマシュマロを焼いたりした。写真を勉強していた間、モデルになってくれたのも子供たちだった。お陰で宿題が早く終わった。そしてなにより、競争社会で生きていたわたしに、彼女たちの純粋さは救いだった。
なんの前触れもなく行ったので、誰もいない可能性もあったけれどなぜか確信を持ってドアベルを押した。しばらく静かだったので、諦めようかと思ったときにドアが開いた。アマンダだった。わたしの大好きだったアマンダ。お茶目でおませで賢かったアマンダ。もう17才になっていた。わたしよりずっと背も高くなっていて、今年から大学生。いま、入試試験の結果待ちだそうだ。しかもなんと、2階の自室にはボーイフレンドまで来ていた。幼稚園から小学3年の間の付き合いで、背はわたしの胸までもなかった小さなアマンダが・・・
彼女はわたしとの時間をすべて覚えていて、アフリカンダンスのスタジオに連れて行ってあげたことも、洋服を買ってあげたことも、一緒に動物園に行ったことも、うちの敷物が柔らかかったことも、そしていつも写真のモデルをしていたことも、どんなポーズだったかもすべて覚えていた。そして、いま、彼女自身が写真に興味があるという。
レイノルズ一家は、わたしが突然現れたのを両手をあげて歓んでくれ、しばらく滞在してもいいわよ、上の娘が6月まで戻って来ないから彼女の部屋を使って、とまで言ってくれた。今いるところにも小さなボーイフレンドがいるので、移るわけにもゆかない(笑)。でも、その気持が嬉しかった。
わたしはなにを恐れていたのだろう。あの頃のわたしが今のわたしを見るのが怖かったのだろうか。これだけ時間がたっているのに、成長していない、と思うのが怖かったのだろうか。いや、本当は過去を過去として葬り、前に進むのが怖かったのだろう。
もう、過去に引きずられないようにしよう。数日前、再会した彼が言った。
「もう、始まってしまったんだ。引き返せない。」
一歩はすでに踏み出していたのだ。歩き続ける勇気を持つしかない。今日、Devoeストリートに戻ったことで、昔の家をそれほど深い感慨もなく見ることができたことで、レイノルズ一家と再び会ったことで、背中の荷がひとつ下りたようにこころが軽くなっている。なんにしろ相変わらず素敵な一家だ。わたしは幸運である。
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ここの子です。たいてい朝ご飯を一緒に食べます。と、いうよりわたしはぼけっとした顔で隣りに座ってるだけなんですけど(笑)今日は、月の一周目の金曜で学校が半ドンだったので、仕事をしているお母さんの代わりに迎えに行きました。帰りにスターバックスに寄り、大きなクッキーを彼が食べる間、カモミールティをわたしは飲みました。本当は、自然史博物館に連れて行きたかったのですが、疲れているので帰りたいというので手を繋いで帰りました。
子供の送り迎えは、妹が幼い頃にやっただけで大人になってからはやっていなかったのでなんだか楽しいものでした。あと何日いるの?とたびたび聞いてくる彼。きっと、帰るときに寂しくなりますね。
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