『歩いて思う』を書くとき思いました。きっとこれを書いたら嫌がるひとが多いだろうな〜。予想通り、以後アクセス数が極端に落ちました(笑)。でも、それはそれだと思っています。わたしにとって、あそこに書いていることは事実以上でも以下でもないことです。そして、正直であることは精神衛生上大切なだけでなく、わたしにとっては誠実な生き方でもあります。
ただ、読み続けてくれているひとたちに、誤解して欲しくないことが1つあります。それは、わたしが単に戦争に加担したひとたちを責めたいわけではないということです。もしわたしが同時代に生きていたら、戦争反対を表明できたかどうかわかりません。随分恐ろしい状況だったはずです。周りがみんな天皇は神だと信じていて、戦争に賛成していて、反対すると己の命だけでなく家族の幸福も危うかったのです。そんな状況で戦争に反対したら・・・想像しただけで背筋が冷たくなます。
本当に言いたいのは、正直に生きることはわたしにだけではなくみんなにとって大切なんじゃないか、ということです。誰でも、自分にウソをつき闇を隠していきると、そのウソと闇がどんどん広がってそのひとを呑み込んでしまいます。わたしは、自分自身の経験からも、周りを見ていても、現実としてそれを知っています。そして、帝国主義と侵略戦争という闇とウソを内に秘めた日本は、いま荒廃の一途を辿っていると感じます。祖国としてそれを見るのはわたしにとっては忍びないものであり、苦しんでいる周りの友人知人を見るのは耐え難いものがあります。
わたしは最近、南直哉(みなみじきさい)さんという禅のお坊さんの話しを聞いたり本を読んだりしていますが、実は、彼がわたしの悩みを救ってくれるというよりは、わたしがこれまで理解できなかった日本のひとたちの悩みをとても明確に解き明かし、彼なりの答えを提示してくれると感じるからです。そして、わたし自身の輪郭がハッキリしてくるような気がするからです。
これまでの自分自身の経験と直哉さんのお話を聞いていて、わたしの中で明確になったことがひとつあります。それは、日本のひとたちは「聖人コンプレックス」を持っているのではないか、ということです。みんな、自分にとても高い理想と、かなり非現実的なイメージを抱いているのではないか、ということです。ほぼ妄想に近いようなものです。
愛されたい、認められたい、と多くのひとが思っているようです。そして、極端なひとは精神を病んだりそれで犯罪にまで走ります。根底に「自分はひとに褒められる人、良い人」でありたいという願望が強いからではないか、と思うのです。または、社会全体が聖人を求めるというか・・・。
けれど、人間なんて短所が長所であったり、長所が短所であったりします。行動力のあるひとは気が短かったり、忍耐力のあるひとは頑固でもあります。また、ときによって気分も変わりますし、状況によってもいろいろな面が出てきたりします。そう、有機物であり生き物であるわたしたちは、どこを切っても金太郎飴のように紋切り型であることは不可能ですし、時の流れとともに変化もすれば、ひととひとは組み合わせによって受け止め方も生まれるエネルギーも変わってきます。短気なひとでも上手くやって行ける人もいれば、そうでなもないひともいます。最初の奥さんとは上手くゆかなかったけれど、二度目の奥さんとは上手く行った、なんてざらにあることです。誰から見ても聖人というのもありえない話しです。
ところが、どうもわたしの印象では、万人にとって「いいひと」「モテるひと」「愛される人」願望がとっても強いのが日本だと感じるのです。けれどわたしは思うのです。そんなのありえないから、いいじゃない、ありのままで・・・。
日本人は侵略戦争をしました。それは、確かに多くのひとを苦しめ、ひとの道として外れたことでした。他国の人々を残虐な形で殺したり苦しめ搾取しただけでなく、同胞も苦しめました。天皇は神だ、とまるで馬鹿げた話しを信じてしまいました。それは、事実であり、現実です。そして、あまり認めたくない過去でもあります。
けれど、人間なんだから、失敗もバカなこともするではないですか。大切なのは、自分の闇や失敗をきちんと認め、迷惑をかけた相手には謝罪し、反省し、誠意を尽くして同じ過ちを繰り返さないようにすることではないでしょうか。だからといって、人間以下になったのではなく、愚かであることをただ認めるだけの話しだとわたしは思うのです。人間がそんなにエラい、と思うと苦しむのは人間だと思います。わたしは、人間ほど愚かな生き物はこの地球上にはいない、と常々思っています。けれど、どうも多くのひとがそうは思っていないようです。
わたしはそこが怖いのです。みんな、なんでそうエラくなったり、聖人になりたがるんだろう、って。いつだったか、なにかで思い悩んでいて、電車に乗っているときもぼ〜〜〜っとしてしまいました。目の前におばあさんが立っていたのですがまったく気付きませんでした。普段、年寄りには席を譲るのですが、なにも目に入っていなかったのです。ところが、斜め前に座っていた30代とおぼしき男性が、おばあさんに声をかけて席を譲ってあげました。わたしは、その時初めておばあさんの存在に気付きました。
そこまでは良かったのです。ところがこの男性、わたしの顔を覗き込むようにして非難の目を向けたのです。何度も何度もわたしを見て、すぐ横に立ってわたしが降りるまでずっとこちらにサインを送っていました。ビックリしました。自分がなにかひとのためになることをして満足するのではなく、誰かに認めてもらいたい、そして、自分のやっていることをひとがやらないと責める、というふうなのですから。彼のやったことは、おばあさんへの愛と思いやりではなく、自分がエラい人間であることを誇示するための行為だったのです。現にわたしのことをずっと気にしていて、おばあさんのことを彼は一度もかえりみなかったのですから。わたしは批判的なエネルギ−にまず傷付き、次に、なんて屈折したひとのいることだ、と、心底驚きました。
でも、日本の多くの人がそう彼と違いない、とだんだん気付きました。なにかすると「これだけやった!」とだれかに認めて欲しくて仕方のないふうをします。そして、それは相手を非難する形でも現れますし、認めてもらえないといじけるひともいます。最近も、なにか仕事でトラブルがあった友人が「認めてもらえていないようで苦しい」と言っていました。
このようなひとびとのことが、ずっと理解できませんでした。でも今、思うのです。きっと聖人コンプレックスが大きいのだろう、と。人間が神になれる、と思い込む性質があるくらいですから、人間がすごい存在だ、と思っているのに違いないのだろう、と。だから、そこに近づくためにもの凄い努力をするし、(不可能にのぞんでいるのだから必ず失敗するのですが)失敗すると落ち込み、コンプレックスを抱くのではないだろうか。ねたみや中傷やいじめや自殺や鬱や妙な犯罪が多いのはそのせいが大きいのではないだろうか。いまの日本は乱世だ,と言っている人たちがいますが、わたしは、戦乱の世だと思います。みんな、理想の自分と争っているのです。闘いに破れた人は、自分を破壊するか、もしくは正当化するために外に敵を見いだすしかないのではないでしょうか。
わたしが日本人が怖いのは、人間に完璧と神を求めるあまり、ひとへの、そしてまずなにより自分への優しさと愛がが欠けていると感じるからです。。そしてそれは、天皇という一人の人間が神であると信じて疑わなかった軍国主義の60年前とそう変わらないのではないか、と思われるのです。
人生は笑って過ごすのが一番だ、とわたしは思います。もちろん悩むときも苦しむときもカフカの世界に陥るときもあります。けれど、そんな自分のことも少なくとも自分は受け入れてやるしかありません。父親が戦争で女たちを強姦したかも知れません。おじいさんが、中国人を残忍な形で何人も殺したかも知れません。母親が食べ物を争ってひとにいじわるをしたかも知れません。でも、人間というのは、追い詰められるとそういうこともしてしまう悲しい存在なのです。それを認め、そこから精一杯誠実に生きるしかないのではないでしょうか。なるべくそうならないように、追い詰めないようにするのが大切なのではないでしょうか。自分に「完璧」を求めるよりも、不完全でもそのままの姿をまず認める。愛は、そこから始まる。そう思います。
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昨日は夕方の5時半くらいに、出掛ける前にちょっと横になるつもりでゴロンとなったらそのまま眠ってしまっていた。友だちと会う約束もダンスクラスも忘れて、昏々と眠っていた。何度か夜中に目を覚まし、ぼんやりとしてはまた眠った。こちらに着いてから時差ボケのせいで平均睡眠時間が3時間くらいになっていたので、昨日は限界だったようだ。
昔、『禅ダンス』というレッスンを何度か受けたことがある。アメリカらしいアプローチかも知れない。日本で、禅とダンスってあまり結びつかない。けれど、生きかたの哲学のひとつが禅であるとアメリカではとらえられていて、本質からそう離れてもいないように思う。
東京で言えば渋谷か青山の真ん中のようなエリア(SoHo)の、目抜き通り(Broadway)に面した広いスタジオで行われた。正直のところ、最初わたしは懐疑的だった。「アジアンチックなアメリカ人」に妙なズレを感じることがよくあったからだ。けれど、この日は少し違った。着替えをすませて集まると、参加者全員に輪になって立つように指導者が言い、手を広げて両腕を60度ほど挙げ、耳を澄ませ、呼吸に意識をもってゆき、感覚を研ぎすますように言われた。そして「すべてを受け入れなさい」と言われた。
外には街の喧噪があり、開け放たれた窓からいろいろな音が飛び込んできた。それも、ただ「ある」ものとして受け入れるように。そして、部屋の中の空気、周りのひとのエネルギ−、なにひとつ遮断しないように。価値判断を棄てること。良いとか悪いとか嫌だとか好きだとか、そういうものをすべて排除して、ただ「ある」周りと自分を受け入れるように・・・。そして、そこからゆるりと即興ダンスが始まった。
わたしにとっては衝撃的なアプローチだった。騒音は邪魔。落ち込んでいる人はなるべく見たくない。嫌なエネルギーからは離れていたい。たいていそう思って暮らしていた。ブロードウェイの喧噪まで受け入れるなんて・・・。以来、わたしはものの見方が大きく変わったような気がする。
時差ボケは好きではない。自分の体のリズムと環境のリズムが大きくズレるのは生理的に気持悪いだけでなく、とても不便だ。昼間にものすごく眠くなり、夜中にエネルギ−全開になる。着いて次の日に眼鏡屋に眼鏡を買いに行ったけれど、頭が朦朧としていてどれがいいかなんて決められなかった。だから未だに目も見えない。もう、こうなったらカフカの世界になる。上もない。下もない。時間の流れもない。ただ、漠然としたグレーゾーンにいるのだ。
禅ダンス以前のわたしだったら、幼い頃のわたしだったら、このカフカの世界とは闘っただろう。もっと明瞭で分りやすく、そして自分の意志と理想を実現化する世界を目指していた。長旅をするたびにハーブの睡眠薬を飲んでいたこともある。眠りをコントロールしたかったのだ。けれど、いまはそうしない。確かに、心地悪い。確かに、不便だ。けれど、すべての瞬間をそのまま受け入れそこから最善を尽そう、と気持が変化してから、不安や焦りがずいぶん少なくなったような気がする。
まだ外が明けやらぬうちにシャワーを浴び、数日前に近所のドラッグストアで買ってきた小さな瓶に入ったアーモンドオイルを全身に塗り、ストレッチをして深呼吸をした。街が徐々に目覚めてゆく音に耳を澄まし、自分の体と、いまここにいる自分を確かめていたら緩やかな気持になってきた。そうして静かにひとりで床に横になっていたら、ここの小さな男の子が目を覚まし、ぱたぱたと足音をたててわたしの部屋に走ってきた。そう、わたしたちは大の仲良しだ。
赤のシマシマ模様のパジャマが鮮やかに灰色の世界に飛び込んできて、わたしのカフカな朝は終わった。今日は、ダンスクラスを二つ受けてみようと思う。
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今日のNYはそんなに寒くありません。多分、4度くらい。日差しがあって気持のよい天気です。空気が乾燥しています。もってきた日本のタロットカードが反っています。水分が抜けちゃっているのでしょう。
外を歩いていて思いました。「あぁ、楽・・・」なんだか楽なのですよね。道路が広いせいか、歩道が広いせいか、空が高いせいか、ひとが優しいせいか、それとも単にこっちが慣れているせいか・・・。で、いろいろなことを思いました。わたしの中にある葛藤について。
わたしは、正直の正直のところを申すと、日本人が怖いです。電車に乗るのも怖かったくらい怖いです。友だちに言ったら「日本人なのに日本人が怖いって・・・そりゃ、大変だね。」と言われたことがありますが、自分でもなぜだろう、とずっと思っていました。理由はいろいろあります。無表情なひとが多いとか、とつぜんキレるひとがいるとか、いじわるなことを言うひとをあちこちで見かけるとか、、、、でも、決定的なのは多分「コレ」だろう、というのに最近気付きました。
それは、わたしの家族の歴史に由来しているようです。と、言うのは・・・わたしの両親は離婚していて、母方に育てられたのですが、その家族が日本社会でかなりの苦労をしているからです。この家は、ずっと地主でした。山も川も森も平地も360度見渡す限りこの家のものと言われていました。何百年も、もしかすると千年以上ずっと前から続いていた家で、彼らにとって江戸時代とういのは新しい時代であり、江戸幕府はあとからきた新権力だったのですから、意識的にも旧い家と言えるでしょう。
ただ、昔の権力者というのは、ひとの面倒もみるものだったようです。曾祖母の家の墓地には、行き倒れのひとや、行くところのないのひとたちをひきとって面倒をみて葬ってあげた墓が沢山あります。そして、曾祖父の時代くらいから、新しい時代に目覚めました。曾祖父は、馬車いっぱいの本を買い集め、村々の子供たちが少しでも勉強できるように配ってまわったりしたそうです。そして、祖父は、戦争にハッキリと反対の意を唱えました。「この戦争はよくない。アジア諸国への侵略であり、アメリカを相手にしても勝ち目はない。第一、みんなが苦しむだけである。」どうなったか・・・それまで「庄屋様」とあがめていたひとたちが「アカ」と彼のことを呼ぶようになり、祖父は投獄され、祖父の弟は獄死、妹は体中に刃渡り何十センチもの傷が残るほどの惨い拷問を受けました。この大叔母は反戦運動とは係っていなかったのですけどね・・・。実家は放火さえもされました。
その恐怖がわたしの中に潜在的にあるようです。ひとと出会うとかならずわたしの中のセンサーが「このひとはどの程度で裏切るひとだろうか」といつも、巡っています。たいていのひとが顔で笑って適当なことを言うけれど、急場に立たされると結構ひどい裏切り方をするだろう、と感じます。きっと、また戦争や集団のいじめなどが起こっても、多勢やメディアが「これはいいことだ」と言ったらそちらになびき、それに反対する少数派のひとを虐めたり殺したりするだろう。そして、もっと怖いことに、後になってそんなことはなかったような顔をするだろう。
そう思ってしまうのです。
誰かと話していても相手が「このひとは有名なひとなの?」などと言う質問をすると、わたしの中の警戒音はけたたましい音を立て、こころのシャッターが降ります。世の中にとって有名か有名でないか、ということをまず気にする人は、自分の目と耳で確かめてものごとの判断をするひとではないからです。99人が「いい」と言えば、自分はいいと思っていなくても「いい」と言うひとだからです。自分の感覚、自分の感性、自分の判断、自分の好み、自分の考え、自分の経験、自分の知識。これらを尊重せず、もちろん他人のも尊重しない。気にするのは世の中の流れと情報。そして、赤信号はみんなで渡れば怖くない、みんなでやれば虐殺も正義、ってことになるからです。
神童と呼ばれて将来を期待されていた若い息子を悲惨なかたちで亡くした曾祖母の嘆きを子守唄のように聞き、大叔母の傷をお風呂に一緒にはいるたびに見、祖父の拷問話しを幼い頃から聞いて育ったわたしは、日本人が怖くて仕方ありません。祖父の爪に針をつっこんでかきまわしたのも、大叔母を裸にして逆さ吊りにしてめったうちにしたのも、大叔父が死ぬまで痛めつけたのも、正直に生きようとした家族を手のひらを返して村八分にしたのも、みんな、日本人だったからです。アメリカにも暗い歴史もあり、暴力もあります。けれど、メディアも権力とは一線をひいていますし、さまざまな意見がこの国には存在し、少数派にも耳を傾ける意識もあります。そしてなにより、侵略戦争が終わって半世紀以上たっても「自分たちは被害者だ」っていう顔を国民全体がするってことはさすがにないのです。
わたしは日本のみなさんに聞きたいのです。あなたのおじいさんの当時の戦争への態度はどうだったのでしょう。あなたのおばあさんは戦争中なんと言っていたのでしょうか。戦争に反対したひとに対してどのような態度をとったのでしょうか。そして、いま、あなた自身はご自分の家族が歴史の流れの中で過去にしてきたことをきちんと知っていて、それへの自分なりの判断や意識はあるのでしょうか。
実際のところ、それが知りたくてわたしはまだ日本にいるのかも知れません。もしかすると、あと数年でわたしが日本にいられる期間は終わるかも知れません。今回アメリカに入ってくるときに法的な意味も含めてそれを感じました。タイムリミットのボタンがピカピカ光っていました。そんな中、こうしてアメリカとの間を行き来しながらも日本にまだ留まっているのは、わたしを生んだ国、わたしの家族が千年以上いた国、そこに住むひとびとを、わたしはきちんと知りたいのだろう、と今日の突き抜けるような青空を見て思ったのでした。そして、わたし自身、殺されるかもしれないことへの恐怖をもう棄てるときが来ているな、と。
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出るとき、東京は雨模様でした。区役所に行く用事があり雨合羽を着て自転車で行き、それから空港に向いました。予報も見ていなかったので、雨か〜と少し憂鬱でしたが万事スムーズに行きました。飛行機もそんなに混雑していなくて、隣りに誰もいない二人席をとることができ、横になって読書三昧しながら到着しました。「老師と少年」は3回読み、「加藤周一全集24」はほとんど読みました。着いた頃には睡眠不足もあってフラフラでした(笑)。
機内には制服を着た野球部の大学生が沢山いて、遠征だそうです。NYで観光してからアリゾナに行くと言っていました。マネージャーの女の子が観光スケジュールを見せてくれましたが、ヤンキースタジアムやシェアスタジアムなどの野球場とともに、グラウンドゼロ(テロで崩壊したワールドトレードセンター跡)も予定に含まれていました。あそこが日本人の観光地となっているようですが、いつも複雑な感情を抱くわたしです。世の中で起こっていることを見ようとする気持はとても大切だと思うのですが、一度に5千人近くのひとたちが悲惨なかたちで命を落とした場所です。東京大空襲のすぐ後にオーストラリア人とかが日本に来て「ここがかの有名な何万人も死んだところらしいよ」って言っているような・・。広島は、過ちを繰り返さない、という意味で博物館もあるし多くのひとが訪れますけど・・でもな〜んか、グラウンドゼロの場合、ひとの不幸が見せ物になっているような気がして、あるいは裏に政治的な作意があるような気がして、妙な気分になるのです。とりあえずわたしは、死んだ人たちの魂がさまよっているような気がして怖くてあまり近づけません。
ところで、こちらの気温はマイナス1〜2度。風が強くて体感温度はもっと低いそうです。ですが、空はクッキリ晴れていて、飛行機から見えたデトロイト近郊は美しい青空。(写真下)NYに到着した頃には夕闇に星が光っていてとても美しかったです。いつも泊めてもらっている友人宅まで空港から市バスで直行し、食事をいただき、そのまま小学2年の子どもが学校で教わったばかりの太陽系の星星の話をしてくれるのに相づちを打つうち眠ってしまいました。「木星はね、ガスでできてるでっかいヤツで〜、冥王星は太陽系の一番外にあってとっても小さいヤツ・・」(The Jupiter is the giant planet made of gas and the Pluto is a dwarf planet farthest from the Sun....) 「その通り、、、で、土星は?」(Yes, that's right... so what about the Saturn?)とかなんとか言っているうちにす〜〜〜〜っ
多分8時半には眠っていたことでしょう。いま、夜中の3時半で、日本時間の朝の5時半。完全に時差ぼけですが今回は適当に過ごしたいので、無理になおす努力はしないで、眠いときに眠って起きているときに活動するつもりです。と、言っても眼鏡と小切手を忘れたので、眼鏡屋と銀行には早急に行かなくっちゃならないですけどね
いつまで続くか保証のかぎりはありませんが、旅のご報告したいと思います。
クッキリカッキリの典型的アメリカ北部の冬空のデトロイト近郊。自動車産業が盛んな地域ですが、大不況のあおりで多くのひとが職を失っているのも同じくこの地域。このときの外の気温は零下4度。ひとびとはどんな思いで暮らしているのだろう、と思いを馳せながら雪の積もっている景色を空の上から見たのでした。
友人と子ども。一緒に学校に持って行くマフィンを作っています。それぞれの家庭が、持ち回りで教室に手作りおやつを持って行くのだそうです。「XXちゃんは、チョコレート食べないんだよね・・」とか言いながら作っていましたが、こうやってクラス全員分(24人)の手作りをすると、クラスメートの名前はもちろんのこと、好みまで分っていいんだな〜と思いました。友人も働いているので大変だとは思いますが、教育環境も生活環境も(彼女は朝8時半に家を出て毎日大抵6時には家に戻っている。職場は電車で5分。土日は完全におやすみ。お給料や保証制度も安定している。)余裕があって日本とはずいぶん違うな、と改めて感じました。
でも、親が学校に手作りおやつを持って行くのは、「典型的なアメリカスタイル」ではないわ。この学校がユニークなの。親が教室にいつも入ってるしね(笑)。というのが、この友人のコメント。
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明日、旅立ちます。今日は、それでも穏やかでした。スーツケースを詰め、図書館に行き、部屋の中を少し整理して、あとは細かいことをして過ごしています。
それにしても、毎回、飛行機に乗るのが少し怖いわたくしです。あんな大きな物体が空を飛ぶわけですから、、、 いくら力学的な原理を聞いても、本能的に怖い。乗るときは、いつも「これで今生とはさようなら、かもね」と思って乗り、一緒の乗客は「運命共同体」だと思っています。そして、死ぬのは仕方ないけど、Please, 苦しみたくない・・と願うのです。乗る前日はいつもちょっとビビってます。何度やってもこれだけは慣れません。
荷物は相変わらず最小限です。小さな機内持込み用のスーツケースとバッグひとつ。向こうに着けば、それこそ、なにがどこにあるのか目を閉じていても分るくらいですし、アフリカじゃないので、足りないものがあっても困ることもありません。天下の消費大国、アメリカの大都市NYですから・・。それに、向こうに行っても、やることといえば生活だけです。朝起きてシャワー浴びて、お茶飲んで、ご飯食べて、ブログ書いて、本屋に行ったり、洗濯したり、日常をしたら、ダンスクラスを受けて、友人たちとご飯食べて帰って寝る。これを繰り返すだけです。NYに行ったら、、、ってなんだかロマンチックだったりエキサイティングなことを想像してくれる方もいらっしゃるようですが、そんなものでもありません。淡々としています。逆に、税金払ったり、免許の書き換えしたり、たまった郵便物に目を通す、などと退屈で面倒なことも待っています
ただ、友人たちに会えるのと、ダンスが沢山できることはとても嬉しいそして、やはり、住み慣れた場所に帰るというのはほっとするものです。
それより今日は、購入が間に合わなかった南直哉さんの「老師と少年」が図書館にあることが判明したので、隣町の分館まで自転車飛ばして借りに行きました。飛行機の中で読みたいのです。でも、文字が少ないのでいったん読み出したら、ほかを放り出して今夜中に読んでしまいそうなので、表紙を開けるのを我慢しています。でも読みたくて、チラ、チラ、と見ちゃうんですけどね・・(笑)。
向こうに着いても、ブログ書くつもりです。携帯電話がPCに接続できて画像がbluetooth経由で転送できることがわかったので、今回は画像も載せられます。(そうなんです。四国でデジカメ水没して以来、相変わらず携帯電話で写真撮ってるんです・・)まだ寒いNYですが、なにか楽しい話題をお送りできることを祈って、、、。
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機内に持って行く2冊。右が老師と少年。時々、直哉さんの言葉は中国語?と思うことがあるのですが、例えば、ブログのタイトルの、「要・不要」。これは中国読みをするとヤオ・プーヤオとなり、要る?という疑問型のときに使います。老師はラオシュでおじいさん。でも、仏教用語が中国語に由来しているものが多いのかも知れません。ただこれを見るとつい、中国語は忘れたと思っていても、ラオシュと言いたくなってしまうわたしなのです。それにしても、あぁ、明日が待ち遠しい・・
左が、加藤周一さんの全集の一冊。ものごとを広い視野から深く洞察し、知性と経験に基づいた思慮がそこにはあり、救われます。オススメです。わたしは、彼の文章を読むとこころがほどけて、なんだかほ〜〜〜っとします。
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昨夜、『魂の帰郷』は、音楽的な意味ではイマイチだった、と書きましたが、レベルとしては非常に高いものだったというのは、言わせていただきたいと思います。ひとりひとりの音楽家としての力量も、ありかたも、このプロジェクトへの向い方も、互いに音楽で全身全霊で会話するところも、素晴らしかったのです。
ただ、わたしの中で、どうしても不納得だったのは、映画全体に流れていたテーマだったのだと思います。それは、、、ジャズ文化のルーツをアフリカに求め,そこに『帰郷=帰る場所』を求めようとした姿勢にあった、ということです。しかし、わたしの見解では、アフリカとアメリカは違う文化である、ということです。
確かにアメリカはアフリカ文化の影響を強く受けた国です。それは、何千万ものアフリカ人が強制的に連れて行かれた土地だからです。世界は、植民地時代以降多大な影響をアフリカから受けていますが、特に、奴隷の数の多かったアメリカ大陸はそれが顕著だったのです。
この映画は、アフリカを起源とするジャズと西欧の影響も受けているアフリカポップの融合、というものが目指されていたのですが、これは「ジャズ=アフリカ起源」という狭い考え方でアプローチすると非常に難しい課題であることが明らかになった映画だった、とわたしは考えたのです。
わたしの古くからの友人に、マライア・キャリーのマネージャーを長年していた女性がいます。マライアは白人と黒人の混血ですが、この女性は、いわゆる黒人でした。彼女のちいさい時からの願いは、「mother land」母なる祖国であるアフリカにいつか戻って自分のルーツを確かめることでした。そして、ある日、休みをとり、とうとう行きました。ひと月ほどして戻ってきた彼女は、わたしに静かに言いました。
「わたしはアメリカ人だ。アフリカ人ではない。それがハッキリとわかった旅だった。衝撃だったけれど、それがわかっただけでもよしとしたい。」
多くのアメリカの黒人は、アフリカにこころのよりどころを求めます。なぜなら、アメリカで何百年という間、ものすごい差別と虐殺と虐待を受けているからです。そしてそれは、残念ながら現在でも続いているからです。この友人の女性もそうですが、アメリカの黒人女性は、黒人というだけで結婚相手をみつけるのが容易ではありません。白人からも黒人からもアジア人からも差別されるからです。それは、非常に複雑で切実で悲しい問題です。今回、黒人の大統領が生まれたのは、アメリカを肌で知らないひとたちの想像をはるかに越えた奇跡だったのです。だから、アメリカの黒人達は、自分たちを認め、自分たちの肌の色をそのまま受け入れてくれ、自分たちの安心できる場所をどこかに求めたのです。当然のことなのです。それがアフリカだったのです。
しかし、アフリカに故郷と魂のよりどころをいくら求めても、彼らは、アフリカ人ではないのです。その現実を、わたしの友人は、ハッキリと知ったのでした。60〜70年代にアメリカ黒人の間でアフリカ回帰が流行し、多くのアメリカ黒人がアフリカに戻ったのですが、ほとんどが馴染めずアフリカで病気になったり衝突したり、戻ったという過去の話しもあります。
実は、わたしも同じような経験をしてきました。わたしは幼い頃から海外と遭遇しています。そして、長い間アメリカを中心に日本以外のところで住んできました。けれど、どこにいても自分を「日本人」として認識し、日本をこころのよりどころとしていました。しかし、今回約8年前に日本に戻ってきて知ったのです。わたしは、いわゆる「日本人ではない」。それは、衝撃でした。わたしには、日本にいる「一般的日本人」の心情が理解できなかったのです。
なぜ、このひとはこっちに行きたいと思っているのに、そう言わないのか。なぜ、このひとはこの商品のことをさっぱり知らないのに、知っているふりをするのか。なぜ、このひとはこころの底で男を信頼していないのに、まるで男がいないと生きて行けないような言動をとるのか。なぜ、この国はこんなに不便なのに、みんな便利便利というのか。なぜ、この国のひとたちは、北朝鮮のような、政治的にも軍事的にもどれほどにもならない弱小国のことを異常に怖がるのか。なぜ、この国では「常識」という言葉がこれだけ多く使われるのか。そして、それがまるでひとつしかないような幻想を抱いて疑わないのか。そのくせ、なぜこのひとたちは海外にに認められることをこんなに望み、歓ぶのか。そして、なぜこの国のひとたちは、これらのことを「当然」として受け止めているのか・・・。
全く分りませんでした。そして、テレビに出てくる人たちも誰が誰だか分らなかったですし、電車の中でもクラスでもどこでも、アジア人の顔を長い間見慣れていなかったわたしにはみな同じ顔に見えて、ひとの顔を覚えるのが一苦労でした。髪を金色に染めているひとを見るたびに白人と思い込み、振り返ったらアジア人の顔でのけぞるほど驚く、というのを長い間繰り返していました。なので、一生懸命日本の歴史や社会学の本を読みあさりました。テレビも猛烈な勢いで(笑)見ました。電車に乗っても、道を歩いても、とにかくひとを観察しました。しかし、その時点で、もう、わたしは日本人ではなかったのです。
だから、アフリカに行った黒人の友人が言った意味が、本当によく分るのです。彼女にはアフリカ人が「分らなかった」のです。人間は、自分が共鳴し、意識を共有していると感じられる集団にたいして「ここに属している」と感じるものです。わたしも彼女も信じていた「祖国」は違っていた、ということになります。
これと同じように、ジャズは、アフリカを起源にはしているけれど、アフリカではすでにもうないのです。確かに、似ているところもあります。確かに、遺伝子はあります。確かに、祖先はそうだったかも知れません。けれど「違うもの」なのです。わたしが数十年の間に経験したことを、ジャズは数百年かけてしているのですから、全く異質なのです。
この映画は融合と回帰を目指しながら、結局は違いが明らかになったものだとわたしは感じたのです。そして、その非現実を現実として妄想したところに、音楽的な失敗があったと感じたのです。
しかし、だからといってそこに希望がない、というわけではないとわたしは考えます。最初から「違うものだ」と認識して向かい合えば、そこから新たなるものが生まれる可能性がおおいにあると思うのです。
アフリカポップとジャズは、似て非なるものである、というところから出発していれば、もっと自由で、もっとクリエイティブで、もっと違う新しい次元の音楽が生まれたのではないか・・・・共通点やルーツを探すところに重点を置いてしまったから,残念ながら幅の狭いものとなってしまった、と。しかしこれは、ユッスーの求めていたものではなく、きっとフランス人のプロデューサ−の犯したミスだったのだろう、と感じました。安易に「ジャズ=アフリカ」と考えるのは、どうしても当事者以外だからです。それに、ユッスーは、NYの若い歌手が非常にNY的なインプロをやったときに反応し、ハーモニカプレーヤーが自分の世界観を全面的に出したときに目を輝かせていました。ユッスー自身は、異質なるものを両腕を広げて受け入れる度量のある素晴らしいひとりのアーティストなのだ、と改めて感じました。ただ、同時に、アメリカの黒人が抱える苦しみは、ユッスーにはあまり分らないのだな、とも。
それが、わたしの印象でした。そして、なぜ、オバマ大統領が素晴らしいかというと、アジア、ハワイ、アメリカで時間を過ごし、Kansas州のまったくのアメリカ白人の母親と、ケニアのまったくのアフリカ黒人の父親という、極端に違う背景をしょって成長したことにより、現実として「ひとはみな違う」という認識をしているからだと思うのです。「違う」ということを認識してこそ初めて人間は「対話」をすることができるからです。
それを深く考え、認識し、そこから立脚した世界観を持っているのが、実は、日本では今回わたしが遭遇した南直哉さんという和尚さんではないか、と思っているのです。ま、そこまで触れると長くなっちゃいますから、ここまでにしておきます(笑)。とりあえずわたしは、これからも自分の音楽と向き合って行こう!と思ったところです。そして個人的には、自分がいわゆる「日本人」ではない、と認識してから肩の力も抜けましたし、わたしには祖国なんてどこにもない、と分ってから断然幸せな日々です。
けれど、この映画、必見です。今更言っても信じてもらえないかも知れませんが、完璧でないからといって素晴らしくない、ということではないのです。上に書いてきたことはアメリカとアフリカと深く関わってきた、祖国を持たないわたしのような人間の言うことです。奴隷の歴史とそれがひとに与える影響を知るだけでも、多大な力がある映画だと思います。映像もとても美しいです。ぜひぜひ、お時間を「作って」観ていただきたいと願います。
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と、今朝言いたくなりました。世界中のひとたちに。存在するすべてのものに。唐突に言いたくなったのです。
シャワーを浴びたあと、クリスタルを体に置いて、朝のひかりの中で瞑想をしていた最中です。体中に歓びが溢れてきて、ひとりでニコニコしてしまいました。これと言った理由はありません。相変わらず人生は慌ただしく、今日もやることが満載です。けれど、突然こころがふわ〜っと広がって、時間がとまったようになり、ただ、そう感じたのです。
みんな、愛してるよ〜!
多分思います。「いまを生きよう」とよく聞きますが、ホントにこれは大切です。このところ、猪突猛進スタイルで走ってきましたが、ときどき、周りの風景を見るのを忘れそうになりました。ときどき、息が浅くなっていました。ときどき、理想や未来だけを見つめて足元を見失いそうなときもありました。だから、ときどき散歩しました。ときどき近所のひとと四方山話をしました。そして、お花を買ってきました。
都会にいると、季節は日差しの角度と、風と、ところどころにあるひとの家の庭木ではかるしかありません。そうすると「いま」を見失いそうになるのです。歩いて10分くらいのところに、腰の曲がった小さなおばあさんのやっている小さな花屋があります。決してオシャレなお店ではありませんが、季節の活きの良い花を良心的な値段であつかっています。そこで、ときどきおばあさんと話しをして、花を買います。
今回はチューリップ。自転車で行けばすぐなのですが、歩いて行きました。実は、その日も忙しい日だったのですが、自分の体に魂を呼戻したかったのです。
あれから数日経っていますが、今も部屋に彩りと華やぎを与えてくれ「春が来てるよ」と教えてくれています。昔、家の庭にあったチューリップの球根が芽を出すのを、日差しが柔らかくなった冬の終わりに祖父と毎朝のように一緒に数えたのを思い出します。「あ、今日は7つ」「今日は9つ」ワクワクしながら土から顔を出す小さな芽を探したものでした。庭に出るときはたいてい肩車をしてもらっていましたが、祖父の肩は大きくて暖かくて、そこから見える世界は広いものでした。
あれから随分のときが経ち、祖父はすでにこの世のひとではありません。けれど、毎年チューリップを見るたびに春近い冬の朝と、祖父の温もりと匂いを思い出すのです。「いま」は過去とともにあり、未来へと続く瞬間なのだな、と実感します。だから、ときどき立ち止まって「いま」を感じるのが、愛への道なんだろうな、と思うのです。
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昨日から生理で、頭がぼんやりしていました。
朦朧としていて、せっかく南直哉さんの講義を聞きに行ったのに、集中するのにものすごい体力を使ってしまいました(笑)。
仏教に詳しくないわたしには、親鸞、道元、浄土宗、禅宗、自力、他力、本願、浄土、、、次々と出てくる言葉にいちいち耳を傾け、直哉さんがいわんとする意味を考えなくてはなりませんでした。
また、日本語でなにかの講義を受けたのは、もう、あまりにも久しぶりで、日本語が難しいことを改めて感じました。
凡夫という言葉も、煩悩の煩なのか、梵なのかわからず、やはり、平凡の凡だろう、とか考えているうちに話しは進み、、、
筆記用具も持って行っていなかったので、メモもとれず、血のめぐらない頭で必死に考え、1時間半の後には、完全に消耗していたのでした(笑)。
しかし、、、よかったです。
わたしは、宗教というもの自体にちょっとした懐疑的な気持があり、それはいまも変わらないのですが、講義を聞くうちなんだかいろいろ分ってきたのです。
詳しいことは、またいずれ書きたいと思います。
ただ、いろいろと思いました。
芸と仏の道とか、人間の存在についての不安定さとか、、、でも、実は一番この講義で気になったのは、直哉さんの「僕は、開き直ったペシミストである」だったのですが(笑)。
なんにしろ男性優位、これが一番宗教からわたしを遠ざけるところなのですが、思いましたよ・・
鳥居(神社で仏教の講義があった。これがまた日本の面白いところで好きなところ。)をくぐる瞬間に、
「生理の女は穢れているから鳥居はくぐってはならない、という男社会の決めたしきたりがあるよな〜。ちなみに一日目のあたしゃどうなるわけ・・」と。
原始、女は太陽であった、といったのは平塚雷鳥さんでしたが、もともと古来から、生理は神聖なものとしてとらえられており、神への誓いの記しは、生命のサイクルの象徴である女性の生理の血を捧げたと言われているのですが、女と生理を穢れたものとし、ひとや動物を殺してその血を献上し始め、「こっからこっちは俺たちだけしか入れないもんね〜」「生理の女はダ・メ〜!」と宗教という団体ときまりを作って乱暴な小学生のようなことをしたのは、もちろん、男性。
宗教ってヤツは、、、って少しため息をつきながら、鳥居をくぐって向った仏教の歴史の講義だったのです。
でも、直哉さんは、1時間半ほどそのへんに唾でも飛ばしているんじゃないか、と思わせるほどの勢いで彼の頭の中にある広大な知識と思いを喋り倒し、、、その話しの内容からも、佇まいからも、ひとりの人間として宗教/生きること/本質と正面から向き合っている姿が感じられました。
わたしはある人間の魂に久しぶりにまっすぐに触れたような気がして、電車の中でじんわり涙が出てきました。
そして、完璧なものなどないように、宗教もまたそうではない。
けれど、そこには、人間の根源的な希いがあり、それは、性別、国籍、人種、時代を越えてとても普遍的なものなのだ、と感じたのです。
家に戻って早めにベッドに入ったら、汗を沢山かいて何度か目を夜中に覚ましました。
流れる血と一緒に全身が奇麗になったようで、朝起きたら体が軽くなっていました。
この数週間、ものすごい勢いで走り続けていましたが、その疲れとたまっていた感情などが流れていったようです。
今朝は早めに起きて部屋を掃除し、玄米小豆粥を作りました。
小豆は、体の掃除をし血を浄めてくれます。
まっすぐな直哉さんの講義。
美しい色の小豆。
体のリズムを整えてくれる生理。
すべて、宝物です。
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とうとう、「アイツ」が・・・長い長い闇の時間から目覚めた。
そう、おばさんやおやじやいろいろが登場してきたけれど、こいつだけは出て来なかった。
深い思索の世界に長い間入っていたからだ。
しかもアイツ、普段からなかなか喋らないのだ。
今日も「わたし」がアイツの説明をするだけで終わるだろう。
アイツが話しをするときは、すべてが終わったあとの事後報告か、よほど、よほど言わなくてはならないと感じることがあるときだけなのだ。
なぜって、やつは徹底的に考え抜き、その間は話しをしない。
そのクセ、納得したらすぐに行動に移すので、話しをする暇がなくなる。
しかも「言葉よりも行動をみて欲しい」という。
女王はやつの目覚めを笑いながら歓んでいるし、芸術家もオヤジもほっとしているけれど、おばさんは歓びながらもちょっと心配している。
アイツが出てきたら、日々の生活が乱れることが多いからだ。
アイツのせいでわたしは何度か倒れそうになったことがある。
誠実で正義感もありいいヤツなんだけれど「いい加減」という言葉をまったく知らない。
おかげでわたしの睡眠時間はこのごろ極端に少ない。
その上、動きまくる。
昨日なんて、前の晩に4時間くらいして眠っていなかったのに、14時間ず〜〜〜っと作業をさせられた。
あいつは、わたしのコアな部分に近いところにいて、とるべき行動の最終決定はあつがほとんどやる。
ずっと長い間、そう2〜3年、いやもっとかも知れない、の間じっとして考えていたが、これからの行動方針をやっと決めたのだ。
そうしたら、これもしてあれもして、あれもこれもしなくてはならない、と突然なりはじめた。
そのうちのひとつが、ブログとホームページの再構築だ。
昨日から突然ホームページを作り直している。
始めたのはいいけれど、、、とにかく恐るべし集中力と持続力なので、ほかがなにもできなくなる。
おばさんなんて完全に隅に追いやられている。
14時間座りっ放しで、その間トイレに立ったのは、3回。
食事は、1日でトースト2枚。
途中でココアを1杯。
それだけ。
それも、乙女とおばさんが悲鳴をあげたからだ。
なにか「食べさせて〜〜〜。倒れる〜〜!」
渋々、トーストを食べ、水を携帯ボトルに入れて、それをときどき飲んだだけ。
「人間、なぜ食べなくちゃならない?面倒だな・・」とアイツはぼやいていた。
水も充分に飲むとトイレに立たなくてはならなくなるので、必要最小限しか飲まない。
そしてようやっと真夜中にベッドに入ったら、今度は曲を作り始める。
まるでドラッグでもやっているかのように、イメージが浮かび始める。
おかげで、睡眠時間はどんどん少なくなる。
そして目を覚ました途端にいろいろ考え始める。
これがアイツの正体なのだ。
アイツは自分をひたすら信じている。
考えに考え抜くが、考え終わったら徹底的に行動する。
ひととは話しもしない。
なにも聞こえない。
誰も寄せ付けない。
14時間の間で記憶にあるのは、外で鳥が一度鳴いたことだけ。
それ以外は、作業に集中して一切を覚えていない。
夜中の1時に寒くて気付いたら、煖房も一切つけないままやっていた・・・
体が冷た〜くなっていた。
しかも朝起きたら、台所のシンクの上になぜか、なぜか、なぜか!脱いだ靴下が置いてあったので、おばさんは大笑いをした!
一体、なにが起こって、こんなところに靴下が・・・
きっと、夢中になっていてなにも周りは見えていなかったのだろう。
今朝も、起きてすぐアイツがコンピューターに向おうとしたので、すべての他のキャラたちが結束して言った。
「やめて!今日はご飯をちゃんと食べて、ほかにやらなくてはならないことをやって!!」
このブログを書くのも勇気がいった。
コンピュータ−を開けたら、アイツがとんできて作業の続きをやろうとするのは、目に見えているからだ。
アイツは、ものすごく抵抗したけれど、みんなで止めさせた。
これから髪が乾いたら、出掛ける。
英会話教室のチラシを配るのだ。
そしてその後、ジムで少し体を動かしてくる。
これだったらアイツも納得してでかける。
アイツは、乙女が大好きな「意味のない行動」や、おばさんが好きな「友だちとのたわいのないお喋り」や、オヤジのように「ぼや〜っとテレビを観る」など一切しないのだ・・・。
髪が乾いてきたので、そろそろでかける。
昨日の満月/月蝕はかなりパワフルだった。
アイツが目を完全に覚ますほどの力があった。
みんなはどうして過ごしているだろうか。
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