食事中にテレビをつけたら、国会中継をやっていた。
環境問題、第一次産業の復興について話しをしていた。
相変わらずのピンぼけ答弁に少し食傷気味になりながらも、時代が変化していることだけはこのひとたちでも分っているのだな、と思いながら見ていた。
エネルギ−の自給力をあげようとか、里山をまもり林業も盛んにしようとか、いろいろ言っていた。
ところが・・・途中である議員が出てきて、道路をもっと作ろう、みたいなことを言い始めた。
出た・・と思った。
どこにでもいる、自民党の道路大好き議員。
要するに、地方の土建屋さん兼半分やくざなひとたちとお金でむすびついたひとたちである。
政治家になるにはお金が必要で、お金を生むにはなにかの産業を起こさねばならず、道路を作るのが一番手っ取り早いのでばんばん道路つくっちゃいましょう、という構図が日本全国あちこちにある。
わたしの地元でも、全く意味をなさない道路があちこちに作られている。
そう、誰も使わない道路なのだ。
政治家の欲のために民の金と労力と大切な土地が使われることがよくあるが、その代表的なものである。
時代が変わり始めて、そろそろそういうひとたちは死に絶え始めたかと思いきや・・・まだぴんぴんしていたのでピックリした。
ビックリしたのはそれだけではない。
あまりに気持悪くてご飯が喉を通らなくなったので、テレビのスイッチを切るほど驚いた。
なんと言ったか。
ある田舎の県道が土砂崩れで崩壊し、それに巻き込まれた若者が死んだという話しをしていた。
要するに、もっと、道路を整備したり作ったりしよう、というためにあげた話だった。
まぁ、いい。
ひとを説得するために、いろいろと涙をさそう話しを持ち出すのは常套手段である。
だまされるかだまされないかは、こちらの力量である。
ただ、その言い草にこころが凍り付きそうになった。
「20代の貴重な人材が失われたんですよ」
と、のたまわったのだ。
これに反感を感じない、または、反応をしないひとは、現代社会の悪に慣れ過ぎているひとだとわたしは思う。
ひとは「人材」ではない。
ひとは、命である。
わたしは、こう聞きたかった。
This is what I expected to hear.
「まだ若い、尊い命が喪われてしまいました。」
人間は、社会のためのコマではない。
人間は、会社や産業のための材料ではない。
人間は、政治家の欲望を満たすためのエサではない。
人間は、肉体に魂の宿った命であり、それぞれに尊厳がある。
道路で金儲けをしようなどと考えるひとにとっては、ひとの命は材料でしかないのだ、ということをハッキリと知ってしまい、わたしは深い哀しみと憤りを覚えた。
それにしてもこの若くして逝った魂は、自分の命が、死んでもなおこのような欲望の「材料」に使われていることを天から見ていたら、人間の浅はかさに笑うだろうか、それとも嘆くだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おやじ
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