H君は、お探しのH君ではありませんでした。もし、OtoさんのH君にに会うことがあったらお伝えしておきますね。それから、まぎらわしいのでコメントを掲載しておきます。ただ、わたしが住もうと思っている町のことは、まだ実行に移していないので公表したくなかっただけなのです。
makoutaより
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H君は、お探しのH君ではありませんでした。もし、OtoさんのH君にに会うことがあったらお伝えしておきますね。それから、まぎらわしいのでコメントを掲載しておきます。ただ、わたしが住もうと思っている町のことは、まだ実行に移していないので公表したくなかっただけなのです。
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ムミナトゥ先生のクラスでした。久しぶりに受講しましたが、やっぱり女性の先生はいいな、と改めて思いました。それから思いました。ときどき、こうして受講して振り返らなくっちゃ、と。ちょっとしたニュアンスやリズムの理解・・わたしも日本で教えていますが、誤解していることもあるし、スタイルが固定化してしまうこともあります。遠い国の文化を教わるって言うのはなかなか難しいものです。
それから感じましたが、いま、NYのアフリカンダンスのスタイルは新しい流れの中にいます。みんな、完全な伝統のステップではなく伝統のステップを元にした新しいステップやその組み合わせをやっています。この流れは10年くらい前から、NYの黒人たちの間ですでに始まっていたことですが、アフリカ人の先生たちも需要に応えるためか、環境に影響を受けているのか、アフリカでの流れとも並行しているのか、変化し初めています。ムミナトゥ先生も国立バレエ独特のステップから彼女の個性へと随分変わっていて、正直のところ驚きました。
そういう意味では日本のアフリカンダンスやドラムの愛好家の伝統に対する態度は正統であり、貴重なものだと感じます。もちろん、このNYでの新しい動きは時代を象徴しているものだし、個人的な嗜好としては賛成ですが、伝統を受継いで行くという意味では、急激な動きには少し危機感も感じるのです。とっても楽しいですけどね・・・これでいいのかな、という気持が残るのです。
日曜には、リズムとステップの正統性に厳しいユスフ先生のクラスがあります。NYからずっと離れていらっしゃったそうですが、幸運にも今週だけ戻っていらっしゃっていて受講することができます。先生がどういうスタンスをこの流れのなかでとられるのか、拝見させていただきたいと思います。
でも、ムミナトゥ先生、相変わらず美しく、すべての動きが明確で素晴らしかったです。NYでは週に2回教えてらっしゃいます。
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Mouminatou Camara アフリカンダンスクラス
毎週 木曜 午後7時〜8時半 @PMTスタジオ
毎週 土曜 午後 5時〜6時半 @Chelsea Studio
151 West 26th Street, 5th floor
(bet. 6th & 7th Ave)
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久しぶりにこのスーパー、Fairaway に行きました。学生のころ、このエリア(アッパーウエストサイド)に住んでいたことがあり、よく通いました。最初の就職もすぐこの近くでした。セントラルパークが近く、多くのアーティストが住む界隈でもあります。
それにしても圧倒的な品揃えに呆然としそうになりました。ひゃ〜、やっぱりこの国は農業国だった・・・と思い出したのです。写真では分りにくいかも知れませんが、ここに映っているひとたちはみな180センチ以上あるひとたちです。2メートル以上の高さまで野菜や果物がズラリなのです。
アメリカと言えば、工業国のイメージが強いのですが、圧倒的に農業の力が強いのが実情です。日本の大豆やとうもろこしの多くがアメリカからの輸入に頼っています。国土が日本の何十倍もあって、日本のように傾斜が急な山間部ばかりではありません。しかも、それに対して人口が日本の2、5倍くらいしかいないので、とにかく余裕があります。
日本がアメリカと戦争しても勝ち目がないというのは、工業的または科学技術的の優劣または核を持っているかいないか以前に、国土の広さと資源の圧倒的な違いがあるので、最初から勝ち目はないのです。人間は食べ物がまずないと生きて行けませんし、先の大戦で日本が苦労したのは、戦争に働き手を取られ田や畑を耕すひとが減り、急激に生産力が落ちたためです。とにかく、現代の日本は自給力が低いので、なんとしても、まず農を根底から見直す必要性があるとつくづくおもいます。たとえ国際的に孤立したとしても、自給できていればなにも怖いものはありませんし、他国に頼っていると、どうしても政治的に相手におもねることとなり、きちんとした国際政治の立場がとれないこととなるでしょう。
それにしても、NYは真冬でもフロリダやカルフォルニア南部は暖かく、1年中ビニールハウスなんかしなくても、ストーブをがんがん焚いてトマトを育てなくてもどこかでなにかが育っているこの国。あまり、追従して真似しても意味はないと思います。すればするほど、日本はアメリカの傘の下から離れることはできなくなるでしょう。日本には日本の、古来からの素晴らしい食文化と知恵と工夫があるので、外来種の季節外れの野菜ばかり燃料を使って無理して栽培するよりも、日本の食べ物、そして先代たちの知恵をもう一度見返すことのほうが大切ではないか、とこの圧倒的な食べ物をみて改めて思ったのです。
ところで、先日ラジオでNYのひとびとは相変わらず肥満気味で、それに係る病気が多いという統計が出ているので厚生省は対策を考えている、と言っていましたが、これだけ食べれば・・・
色とりどりの柑橘類。いろいろな種類がある。みんなそれぞれ美味。けど、これを積み上げるのも大変だな〜と毎度思うわたしでした。あ、それから、5 for $1とは、5つで1ドルです。そう、安い。日本が住みにくいのは、生活必需品の価格が高いからというのもあります。もうすこし、庶民に友好的な国であれるといいと思うのですが・・。
大好きな漬け物コーナー。乾燥トマト、オリーブ、キュウリ、ペッパーなど並んでいます。イタリア産のものも混じっていました。
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日本でママディさんというとママディ・ケイタと決まっているようですが、いまのNYではママディと言えばママディ・サノです。昨日のクラスも熱気があり、楽しかったです。決して初心者向けではありませんが、NYに来たら一度は受けてみて欲しいクラスです。
ダンサーをみるとき、その立ち姿でだいたいそのひとの持ち味と実力が分ると思っているのですが、ママディさんはわたしがこれまでみたどのアフリカの男性ダンサーよりも美しく、一種のオーラを持っていると感じます。類い稀なる才能の持ち主でもあります。一世を風靡したといわれるお父さん(モハメッド・キモコ・サノ氏)の遺伝もあるのでしょう。
ダンスダンスダンス。この日のリズムは、ティリバとマンディアーニ。特に最初の振り付けがややこしくて、みんな頭がフライドポテト状態になりそうでした。でも、楽しかった〜
日本にも来たことのあるマンゲさんとコナクリー出身のドラマ−たち。
そしてこちらも来日したフォデさん。まるでコナクリー村のようなクラスです。
携帯電話カメラなので限界がありますが I hope you could get the feeling of it, at least. 雰囲気を味わってくださいませ。
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Mamady Sano アフリカンダンスクラス
毎週火曜夜8時〜9時半 @PMTスタジオ
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あぁ、もっとNYにいたい・・・そのひと言です。な〜んでたった2週間半の滞在にしちゃったんだろう、と後悔してぼやいたわたしです。なぜって、やっぱりダンスが楽しいからです。昨夜はママディ・サノさんのクラスを受けました。時差ボケもなおっていて正気だったので、ややこしいステップも問題なく、久しぶりに汗をかきました。昔からの友人たちに「で、いつこっちに戻って住むの?」と言われるたびにあ〜なんで帰ることにしちゃったんだろう〜!?って後悔するのですが、やっぱりこの街はサイコ〜とひとりでニコニコしてしまったのでした。
けれど、来てすぐのときに慌てました。この10年くらいあったジョニーバスタジオはなくなっているし、先生たちはバラバラのことろで教えているし、以前は毎日どのクラスを受けたらいいのか、と迷うくらい沢山のクラスがまとめてあったのに、いまはどこになにがあるのか探すだけで精一杯だったからです。友だちにすぐにメールして、「一体どうなってるの〜?どこに行けばなにがあるの?NYになにが起こっちゃってるの?」と聞いたくらいです。すぐに返事がきて、あちこちにちらばっているクラスのスケジュールを送ってくれましたが、これもNYの特徴のひとつです。
変化し続ける。
この街は水瓶座の街です。(ちなみにアメリカ合衆国は蟹座。日本国も実は水瓶座。東京はなに座か知らないけれど、水瓶座のエネルギ−は感じられません。)水瓶座は、改革と変化を現します。世界的な変化のときに、この街はその先頭を切っているのかも知れません。冥王星がブラックホールに並び、去年の暮れから山羊座に入っています。なんども繰りかえしてきましたが、権力機構や組織が崩壊するときです。ジョニーバスタジオもその流れのひとつだったのでしょう。いま、仮の場所で運営を行っているそうですが、芳しい噂は聞きません。多分、時間の問題でしょう。
NYには、アフリカ系のスタジオが80年代からずっとありました。最初は、ユダヤ人でローラースケートの選手(?)だったひとが運営していたレズリースタジオ。次にエピゾさんと奄美出身の日本人男性が共同経営していたファレタスタジオ、そしてジョニーバスタジオでした。それぞれにそれぞれの特徴があり、同じアフリカンダンススタジオと言えど、少しずつ雰囲気はちがいました。けれど、いつも「ここにゆけば必ずアフリカンダンスができる」という場所があり、みんなの集まる場所がありました。
それがいまなくなっています。みんな散り散りバラバラになり、空中分解気味です。さまざまなモダンダンススクールのスタジオを借りて先生たちは教えていますが、ほとんどが静かさを重んじる白人系のモダンダンスの学校です。クラス終了後に興奮した受講者たちやアフリカ人たちが騒いだりするのが問題になったりしています。そしてとうとう、先日ババカール先生のクラスの前に話しがありました。「僕たちはいま違う時代を生きている。ずっと、レズリー、ファレタ、そしてジョニーバがあって甘やかされてきたが、いまは違う。ひとのスタジオで踊らなくてはならない。自覚を持つように。」と、いまや長老になってきたマラン・バヨという先生がおっしゃていました。その言葉を聞いて、確かにときは動いているんだな、と実感しました。
しかし、この変化は不便でもあり寂しくもありますが、一方で良い面もあるとわたしは観察しています。人種間の壁が壊れてきているのです。と、いうのは、これまで3つのどのスタジオでも「ここはアフリカンダンスの場所だから」と、黒人達が固まって他を排斥しようとする雰囲気があり、喧嘩や嫌がらせが絶えませんでした。わたしも最初はどつかれたり(笑、ホント)無視されたり、嫌がらせをされたり、大変な思いをしました。上達すればするほど厳しい風当たりでした。「殺す」と脅迫電話がきたこともあります。
しかし、これには理由があります。アフリカ黒人奴隷たちは、アフリカから鎖で繋がれ、起き上がることも動くこともできない船にすし詰めにされて連れて来られ、売り買いされ、強姦され、リンチされ、惨い形で殺され、同じ水道の水を飲むことも、バスで同じ席に座ることも、同じ学校に行くことも許されないできたのです。長い長い苦難の歴史のあとに、ようやっと黒人開放の動きが60年代から高まり、ちょうどそのころ次々にヨーロッパから独立を果たしたアフリカのアフリカ人たちがジャンベを抱えてやってきてアフリカの太古のリズムを響かせ、アメリカの黒人達は涙を流して歓んだのです。ですから、これまで自分たちを差別してきた白人や黄色人種が、ようやっと再び手に入れた「わたしたち=アフリカの子孫」のダンスをやることが許せなかったのでしょう。また、差別されたひとというのは差別をするものです。それまでの憤りと怒りが、白人と黄色人種を逆差別するという形で噴出していました。もちろん全員がそんな黒人ばかりではなく、冷静な目と公平な態度をもったひともいました。手を差し伸べてくれたひとたちもいました。それにしても、その負のエネルギは黒人同士さえも傷付けるほど深く、苦しいものでした。
ところがいま、「アフリカンダンス専門」のスタジオがなくなり、空中分解しています。そして、アフリカ専門ではないスタジオでやることにより、より多くの人がその存在に気付き、門が開放され、多くの白人たちがアフリカンダンスをやるようになっています。黒人達も、以前のように固まって差別をしなくなっています。
わたしはずっと願っていました。アフリカンダンスをやる白人やアジア人たちは、黒人を差別してきた白人やアジア人とは違い、少なくとも彼女たちの文化を尊敬しているのだ、と。彼女たちからダンスを奪おうとしているのではなく、尊重し分かち合いたいのだ、と。わたしたちもまた彼女たちと同じ人間であり、育った環境や国や人種は違っていても、生きることで悩み、苦しみ、幸福を求め、アフリカンダンスに希望と歓びを見いだしたものたちである、と。そのことにいつか気付いて欲しい、と。
ですから、この空中分解のときは、なにが大切なのかを振り返るよい機会ではないかと思うのです。これまでのようにただ同じスタジオで踊りながらもこころで壁を作っているのではなくて、生い立ちや人種を越えて、みんなが人類の故郷といわれているアフリカのリズムでひとつになるための、ダンスの本質を再び見いだすための、試練のときだとわたしは考えるのです。
そして、NYのアフリカンダンスシーンは、地球規模の「変化のとき」、マヤカレンダーの終わり、水瓶座の時代への移行、未曾有の変化のときを象徴していると感じます。組織は崩壊し、多くが変化し、行くところもなくなり、ひとびとは不安になっています。けれど、これまでのあり方を見直さざるを得ないときにもなっています。きっと、「残らなくてはならないもの」は必ず残り、この崩壊のあとから生まれるのは「生まれるべくして生まれるもの」であろう、と信じるのです。そして、よく見れば、闇と言われている宇宙にも実はひかりの分子があるように、目をこらしてみればひかりは見えてきている。見えるか見えないかは、そのひとのこころの目にかかっている、とわたしは思うのです。
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調べてみたら、東京はおとめ座でした。やっぱり・・という感じでした。なぜなら、誠実で真面目なのですが、プライドが高くて頑固で融通がきかないところがあるのがおとめ座の特徴でもあります。安定と地位を求める土の星座でもありますので、改革や変化はなかなか望めません。ですので日本の場合、東京はどちらかというと一歩も二歩も遅れをとり、国全体が先に一斉に変化してゆくのかも知れません。
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こんなことってあるんでしょうか。あまりにも奇遇、あまりにも妙で、わたしはちょっと言葉を失っています。
コメント欄に、以前ダンスクラスに来ていたH君からメッセージが入っていました。「いま僕はXX県のXX市というところに住んでいます」と書いてあるのです。目を疑いました。そしてひとりで、え〜〜〜〜!?とのけぞってしまったのです。なぜなら・・・
日本を出る前にいろいろ考えたのですが、東京を少し離れようと決心していました。そして、考えた末、以前よく行って気に入っていたそのH君の住むXX県のXX市に移ろう、と決めて出てきたからです。物件もネットで探し、大体どの辺りに住むかも決めていました。そう、そこには精霊を思わせる木々もあり、なにかが住んでいる感じなのです。向こう数年は、音楽と踊りに集中したく、森と緑の多いその小さな町に住むのがいい、と決めていたのでした。
ところがこのメッセージを読んで・・え・・?とのけぞりました。
だって、誰にもそのことは言ってませんでしたし、偶然はそれだけじゃないのです。このH君、お母さんの実家がわたしの実家から数百メートルくらいのところにあり、わたしの実家の土地の半分を買って住んでいるおじさんは、彼のお母さんの幼なじみでずっと学級委員を一緒にやっていたとかで・・・しかも、わたしの故郷は人口1万人もいるかいないかの(いるのかな?)とにかく小さな町で、いや、同じ出身地のひとなんて東京ではまず会わないのです。なので、お母さんの故郷がわたしと同じひとがクラスに現れただけでも驚いていたのに・・・
そのひとがこれから住む予定の町にすでに引っ越していた?
なんなのでしょう。もしかすると、これから住もうと思っているあの町は、彼のお母さんの故郷でもあるわたしの故郷に似ているのかも知れません。それにしても、この世にはある一定の法則と動きがあるのだな〜、と外の凍てつく風の音に耳を傾けたわたしです。
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4年もののゴーダチーズ。とっても美味
こっちで嬉しいのは乳製品が豊富なこと。実は、ヨーロッパのほうがもっと豊富で美味しく感じましたが・・・NYも結構イケてます。とにかく朝から脂肪分の多いクリーミィなヨーグルトとチーズ三昧して、1日中好き放題食べていたらどうも太ってきたようで・・服がぱちぱちし始めたので、本腰を入れて踊ろうと思います。(食べるのを減らすとはちょっと言えない・・。笑)これまでは時差ボケで怖かったので、あまり本気では踊っていなかったのですが、今は抜けているのでいけます。そう、美味しく食べるためにもダンス、です
今日は、ママディ・サノさんのレッスンです。ママディさんは、ギニア国立舞踊団のドンで、ママディ・ケイタさんもユスフ先生も、いまを代表するギニアのアーティストたちをみんな育てたと言われる、かの故キモコ・サノ氏の秘蔵ッ子で、素晴らしい才能です。ドラマ−たちも集まりそうなので楽しみです。外は零下20度くらいで体感温度はもっと低く、最高気温が零下7度くらいだとラジオでさきほど言っていましたが、お風呂に入ってストレッチでもして元気に行ってこようと思います。みんなもダンスとドラムしているでしょうか。
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あれは夏の日の夜でした
彼が
少し酔っぱらってタクシーに乗ってきました
行くところのなかったわたしたちは
このベンチに座りました
彼は
わたしを抱きしめたまま
離そうとはしませんでした
恥ずかしくて
スカートがめくれそうで
わたしは気が気ではありませんでした
でも彼は
そのまま動こうとはしませんでした
気付いたら何時間もたっていました
本当は誰の前でも笑い合いたかった
本当はどこでも堂々と手をつなぎたかった
本当はずっと一緒にいたかった
なぜ
そうできなかったのか
二人とも
幼過ぎたのか
頑固過ぎたのか
周りを気にし過ぎたのか
勇気が足りなかったのか
もう忘れた方が良いのでしょうか
それとも・・・
マイナス20度の冬空の下で
雪をかぶってもなお
ベンチは相変わらずそこにあって
なにも語ることはないのでした
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『歩いて思う』を書くとき思いました。きっとこれを書いたら嫌がるひとが多いだろうな〜。予想通り、以後アクセス数が極端に落ちました(笑)。でも、それはそれだと思っています。わたしにとって、あそこに書いていることは事実以上でも以下でもないことです。そして、正直であることは精神衛生上大切なだけでなく、わたしにとっては誠実な生き方でもあります。
ただ、読み続けてくれているひとたちに、誤解して欲しくないことが1つあります。それは、わたしが単に戦争に加担したひとたちを責めたいわけではないということです。もしわたしが同時代に生きていたら、戦争反対を表明できたかどうかわかりません。随分恐ろしい状況だったはずです。周りがみんな天皇は神だと信じていて、戦争に賛成していて、反対すると己の命だけでなく家族の幸福も危うかったのです。そんな状況で戦争に反対したら・・・想像しただけで背筋が冷たくなます。
本当に言いたいのは、正直に生きることはわたしにだけではなくみんなにとって大切なんじゃないか、ということです。誰でも、自分にウソをつき闇を隠していきると、そのウソと闇がどんどん広がってそのひとを呑み込んでしまいます。わたしは、自分自身の経験からも、周りを見ていても、現実としてそれを知っています。そして、帝国主義と侵略戦争という闇とウソを内に秘めた日本は、いま荒廃の一途を辿っていると感じます。祖国としてそれを見るのはわたしにとっては忍びないものであり、苦しんでいる周りの友人知人を見るのは耐え難いものがあります。
わたしは最近、南直哉(みなみじきさい)さんという禅のお坊さんの話しを聞いたり本を読んだりしていますが、実は、彼がわたしの悩みを救ってくれるというよりは、わたしがこれまで理解できなかった日本のひとたちの悩みをとても明確に解き明かし、彼なりの答えを提示してくれると感じるからです。そして、わたし自身の輪郭がハッキリしてくるような気がするからです。
これまでの自分自身の経験と直哉さんのお話を聞いていて、わたしの中で明確になったことがひとつあります。それは、日本のひとたちは「聖人コンプレックス」を持っているのではないか、ということです。みんな、自分にとても高い理想と、かなり非現実的なイメージを抱いているのではないか、ということです。ほぼ妄想に近いようなものです。
愛されたい、認められたい、と多くのひとが思っているようです。そして、極端なひとは精神を病んだりそれで犯罪にまで走ります。根底に「自分はひとに褒められる人、良い人」でありたいという願望が強いからではないか、と思うのです。または、社会全体が聖人を求めるというか・・・。
けれど、人間なんて短所が長所であったり、長所が短所であったりします。行動力のあるひとは気が短かったり、忍耐力のあるひとは頑固でもあります。また、ときによって気分も変わりますし、状況によってもいろいろな面が出てきたりします。そう、有機物であり生き物であるわたしたちは、どこを切っても金太郎飴のように紋切り型であることは不可能ですし、時の流れとともに変化もすれば、ひととひとは組み合わせによって受け止め方も生まれるエネルギーも変わってきます。短気なひとでも上手くやって行ける人もいれば、そうでなもないひともいます。最初の奥さんとは上手くゆかなかったけれど、二度目の奥さんとは上手く行った、なんてざらにあることです。誰から見ても聖人というのもありえない話しです。
ところが、どうもわたしの印象では、万人にとって「いいひと」「モテるひと」「愛される人」願望がとっても強いのが日本だと感じるのです。けれどわたしは思うのです。そんなのありえないから、いいじゃない、ありのままで・・・。
日本人は侵略戦争をしました。それは、確かに多くのひとを苦しめ、ひとの道として外れたことでした。他国の人々を残虐な形で殺したり苦しめ搾取しただけでなく、同胞も苦しめました。天皇は神だ、とまるで馬鹿げた話しを信じてしまいました。それは、事実であり、現実です。そして、あまり認めたくない過去でもあります。
けれど、人間なんだから、失敗もバカなこともするではないですか。大切なのは、自分の闇や失敗をきちんと認め、迷惑をかけた相手には謝罪し、反省し、誠意を尽くして同じ過ちを繰り返さないようにすることではないでしょうか。だからといって、人間以下になったのではなく、愚かであることをただ認めるだけの話しだとわたしは思うのです。人間がそんなにエラい、と思うと苦しむのは人間だと思います。わたしは、人間ほど愚かな生き物はこの地球上にはいない、と常々思っています。けれど、どうも多くのひとがそうは思っていないようです。
わたしはそこが怖いのです。みんな、なんでそうエラくなったり、聖人になりたがるんだろう、って。いつだったか、なにかで思い悩んでいて、電車に乗っているときもぼ〜〜〜っとしてしまいました。目の前におばあさんが立っていたのですがまったく気付きませんでした。普段、年寄りには席を譲るのですが、なにも目に入っていなかったのです。ところが、斜め前に座っていた30代とおぼしき男性が、おばあさんに声をかけて席を譲ってあげました。わたしは、その時初めておばあさんの存在に気付きました。
そこまでは良かったのです。ところがこの男性、わたしの顔を覗き込むようにして非難の目を向けたのです。何度も何度もわたしを見て、すぐ横に立ってわたしが降りるまでずっとこちらにサインを送っていました。ビックリしました。自分がなにかひとのためになることをして満足するのではなく、誰かに認めてもらいたい、そして、自分のやっていることをひとがやらないと責める、というふうなのですから。彼のやったことは、おばあさんへの愛と思いやりではなく、自分がエラい人間であることを誇示するための行為だったのです。現にわたしのことをずっと気にしていて、おばあさんのことを彼は一度もかえりみなかったのですから。わたしは批判的なエネルギ−にまず傷付き、次に、なんて屈折したひとのいることだ、と、心底驚きました。
でも、日本の多くの人がそう彼と違いない、とだんだん気付きました。なにかすると「これだけやった!」とだれかに認めて欲しくて仕方のないふうをします。そして、それは相手を非難する形でも現れますし、認めてもらえないといじけるひともいます。最近も、なにか仕事でトラブルがあった友人が「認めてもらえていないようで苦しい」と言っていました。
このようなひとびとのことが、ずっと理解できませんでした。でも今、思うのです。きっと聖人コンプレックスが大きいのだろう、と。人間が神になれる、と思い込む性質があるくらいですから、人間がすごい存在だ、と思っているのに違いないのだろう、と。だから、そこに近づくためにもの凄い努力をするし、(不可能にのぞんでいるのだから必ず失敗するのですが)失敗すると落ち込み、コンプレックスを抱くのではないだろうか。ねたみや中傷やいじめや自殺や鬱や妙な犯罪が多いのはそのせいが大きいのではないだろうか。いまの日本は乱世だ,と言っている人たちがいますが、わたしは、戦乱の世だと思います。みんな、理想の自分と争っているのです。闘いに破れた人は、自分を破壊するか、もしくは正当化するために外に敵を見いだすしかないのではないでしょうか。
わたしが日本人が怖いのは、人間に完璧と神を求めるあまり、ひとへの、そしてまずなにより自分への優しさと愛がが欠けていると感じるからです。。そしてそれは、天皇という一人の人間が神であると信じて疑わなかった軍国主義の60年前とそう変わらないのではないか、と思われるのです。
人生は笑って過ごすのが一番だ、とわたしは思います。もちろん悩むときも苦しむときもカフカの世界に陥るときもあります。けれど、そんな自分のことも少なくとも自分は受け入れてやるしかありません。父親が戦争で女たちを強姦したかも知れません。おじいさんが、中国人を残忍な形で何人も殺したかも知れません。母親が食べ物を争ってひとにいじわるをしたかも知れません。でも、人間というのは、追い詰められるとそういうこともしてしまう悲しい存在なのです。それを認め、そこから精一杯誠実に生きるしかないのではないでしょうか。なるべくそうならないように、追い詰めないようにするのが大切なのではないでしょうか。自分に「完璧」を求めるよりも、不完全でもそのままの姿をまず認める。愛は、そこから始まる。そう思います。
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