ずいぶん涼しくなってきたけれど、まだ、蚊が出る。だから、夕方になると蚊取り線香を炊く。網戸がきれいにしまらないから、どうしても入ってきてしまう。ふと気づいたら、腕の上にそ〜っと乗ってきているし・・・。田舎の竹やぶに隣接したところで育ったわたしは、蚊に刺される(喰われる、と幼い頃は言った)のはそれほど苦痛ではないし、こんな都会の蚊なんてたいしたことない、とオヤジたちはうそぶくけれど、それでも、やっぱり刺されたくない。女王とあたしはとくに嫌がる。だから、おばさんが点けてくれる。
お隣のベランダでは、風鈴が鳴っている。蚊取り線香を点けて、風鈴の音を聞いているとまるで夏のよう。今日は気温も上がったし、特にそう感じる。でも、空気はやはり秋で、日差しは確実に冬へ向かって低くなっている。そして、少し暗くなると鈴虫が鳴き始める。今、鈴虫の声と風鈴の音の両方を聞きながら、蚊取り線香の匂いの中でこれを書いている。そうして、部屋はだんだん暗くなってゆく。
涼しくなってくると寂しくなるから秋は嫌い・・と、ある夏が大好きな友人は言っていたけれど、あたしは・・・秋が好き。アフリカンダンスをやっているから夏大好き、暑いの大好き、と思われがちだけれど、夏は本当は苦手。寒さのほうが、暑さよりダンゼン耐えられる。それで、冬は零下20度くらいになるNYでもずっと平気だったのかも。だから、秋が来ると、嬉しい。食べ物は美味しいし、あたりの匂いは良くなるし、木々は紅葉して美しくなるし、風もさらりとして、空も高くなる。でも、こうしてひとりで風鈴の音と鈴虫の声を同時に聞いていると、なんだかふいに寂しい気持ちもしてくる。・・・けれど、実は、それも悪くない。寂しい。それがいい。
先日、仕事場である事情があって、あたしは自分の半生を簡単にかいつまんで書いたものを提出した。そうしたら、「君は死のエリートだね。三島由紀夫とおんなじだ。」と言われた。『わたし』は、骨太の夏目漱石が大好きで、同時代に生きていたらケッコンしたいとまで思ったこともあったくらいで、へなちょこの三島由紀夫はあまり好きじゃない。三島の日本語の美しさは好きだけれど、彼のあり方も死に方も好きじゃなかったから、体をよじって「違いますよ」と抵抗していたけれど、「三島も生まれたときの情景を覚えているらしいし、君と共通点が沢山あるね」と言われて、納得したような、しないような・・・中途半端な顔をしてた。でも、あたしは、なんだかわかるような気がする。
闇への憧れ。死への強烈な関心。幼い頃、映画やテレビを観ると「終」や「FIN」の一文字が怖くて、終わらないで終わらないで、とこころで願い続けながらどこかで待ちわびる。「終」の一文字を観たとたんに、その痛みとストーリーにしばらく呆然としていた。時には何日も。そんな感じ。そして、冬の足音を聞くと、どこか寂しくなるくせに、その寂しさを味わいたくて、ひとりでいたくなる。そしてまた寂しがる。そして密かに悦ぶ。
あ、おばさんが、いつまでもぼんやりしないで食事にしなさい、って言ってるからそうします。あなたは、季節はいつが好きですか。やはり、夏の終わりは寂しいですか。
・・・・・乙女
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