昨日から本棚の整理をしているが、これを始めたら、いろいろなものが出て来て大変である。
始めた途端にドキドキし始めた。
ほんとうに心臓がバクバクした。
自分でもなぜか分っていた。
なにかを片付ける時って、過去が一緒に戻ってくるのだ。
本棚にはもちろん本もあるけれど、書類や日記も一緒に置かれてあった。
昔から日記はつけるが、読み返さないほうだ。
先日、夜中のNHKを見るともなくつけていたら、山口県の過疎集落のおばあさんが、生活に行き詰まっていて町に移った方が良いのだけれど、家を整理するのがおっくうで引っ越しができない、と言っていた。
気持ちがよく分る。
整理すると、思い出も一緒に出てくるのだ。
先立たれた夫も、育てた子どもたちも、一緒に苦労しながらも作った田んぼも・・その時々の思いが蘇る。
溜め込めば、溜め込むほど大変になる。
わたしはそうなるのが怖くて、あまり荷物も持たないようにして、沢山捨てながら歩いて来た。
通算20回以上は引っ越ししている。
国も町も含めて・・。
けれど、生きているとどうしてもいろいろと溜まって来る。
しかも、今回は珍しく3年以上同じところにいる。
思い出も、気持ちも、写真も、日記も・・・溜まり始めていた。
それに、おざなりにすると追いかけてくる過去というものもある、というのも分って来た。
ときにはきちんと振り返って自分で整理しなくてはならない。
ちょうど、水星も双子座に入って後退し始めているし・・。
恐る恐る整理を始めた。
日記も少し開けてみた。
そうしたら・・あら、わたし、ちゃんと生きていたんじゃない、と驚いた。
ま、そんなに驚くことはないけれど、意外と(?)いろいろ考えながら、それなりに慎重に生きて来ている、と気付かされた。
それで、ほっとした。
2003年の夏の日記の最初のページは、ガンジーの碑文で始まっていた。
七つの社会的罪 Seven Social Sins
1 理念なき政治 Politics without Principles
1 労働なき富 Wealth without Work
1 良心なき快楽 Pleasure without Conscience
1 人格なき学識 Knowledge without Character
1 道徳なき商業 Commerce without Morality
1 人間性なき科学 Science without Humanity
1 献身なき信仰 Worship without Sacrifice
このひと言ひと言が、現代の課題だな・・と思う。
それから、戦国時代の武将、真田幸正の言葉。
『澄んだ月を見るには、澄んだ月を見る、澄んだ心をもっていなければならぬ
本気で生き、本気で死にたい。
浮き世の愉しみを知ってこそ、己の本心、真が分るというもの。』
そっか〜、こんな言葉を書き記しながら日記を書いていたか〜、と振り返り、小さな本だなに収めた。
その一方で捨てているものもある。
四国で死んだけれどなんだか捨てるに忍びなかった愛用のデジカメも、有効期限切れのクレジットカードも(新しいものは送られて来ているんだけどなんだか捨ててなかった)、数十冊の本も、もう、捨てたい思い出と一緒に捨てている。
忘れたい人もいるし、思いもある。
少しずつ、整理している。
昨夜読んだ本にも書いてあった。
「無駄なもの、もう無用なもの、捨てるとそこには新しい風とひかりがはいってくる。そして、開放される。」
けれど、振り返って笑ったものもあるし、大切にもうしばらくはとっておきたいものもある。
日記はとりあえず、死ぬ前までとっておこうと思う。
この下の写真も2003年の日記からだ。
2003年と言えば、放浪をしていた頃で、コミューンに住んでいた。
この頃、暇だらけで、悩める頭で落書きばかりしていたようである。
上の落書きは、東京が嫌で九州に移ろうかと悩んだ時で、右が東京、左が九州なのだが、なぜか、左は絵が背中姿で文字が鏡文字になっているのに自分で笑った。
そう昔のことでもないのに、一切こんな落書きは近頃していない自分にも気付かされた。
さようならするものと、しないもの。
それをどうやって決めて行くかで、その人の人生も変わって行くような気がする。
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