近年、わたしは、太陽暦に基づく新年にあまり従わないようになっている。
まわりが大掃除をするので、その波にのる以外は、別にこれと言ってなにもしない。
気持がどうもついてゆかないのだ。
だいたい、なぜ、この日が「1月1日」で、正月なのか?
日本にこの太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたのは、多くのものがそうであったように、明治の初頭である。
グレゴリオ暦というのは、ユリウス暦というものを改めた太陽暦だそうだけれど、どうしても、ユリウス暦ではズレが出てくるので、閏年を作ってグレゴリオ暦としたらしい。
しかし、人間の考える無粋な数値でこれが1年、というふうに当てはめようとするから「ズレ」が出てくるだけの話しであり、相手(宇宙)に合せれば、最初からズレなどない。
時間にしてもそうである。
明治以前は、日本人ももっと宇宙の法則に寄り添って生きていたから、時計の針で振り回される生活ではなかった。
太陽の登るときが明けの時(明けの六つ/卯の刻)で、沈むときが暮れのとき(暮れの六つ/酉の刻)だったのである。
なので、当然、日照時間の違う夏と冬では、今の時計上の時刻は変わっていた。
明治の人間は、なにかあると褒美に銀時計をもらっては歓んでいたようだが、あれは、ヨーロッパ/近代化コンプレックスであり、逆に感性を退化させる象徴でもあったとわたしは感じている。
もちろん、太陽暦と工業化社会にはある一定の意味もあった。
全くすべてを否定するわけでもない。
けれど、日本の昔のひとのほうが、柔軟で、真実に近い生活を送っていたのだ。
月の暦に合せれば、毎年、新年の太陽暦の日付けは違う。
今年は2月7日だったけれど、来年は1月26日である。
けれど、いつも水瓶座の新月が、新年の始まりである。
これから、時代は水瓶座に入って行く。
これまでの約2000年の魚座の時代にいろいろな意味で終わりを告げ、新しい時代に入って行くのだ。
ある一部のひとびとは、この水瓶座の時代が人類の地球での最後の時代となるだろう、と予測している。
いつかは終わる人類の命である。
それがあと1000年だと予測されているのだ。
しかし、この1000年は人類にとって素晴らしい1000年になる可能性がある、という予想もしている。
占星術を信じないひともいるだろうし、この予想がどうかいかんは別としても、少なくともいま、世の中が大きく変わろうとしていることは感じているだろう。
これは、魔女の専門エリアだけれど・・・
ますます、水瓶座の新月で始まる新年は大切になることとわたしも感じている。
おばさんが、朝からそわそわして、「おそばを買いに行こうかしら」と外を見たりしている。
けれど、わたしは言った。
「今年はいい。月の暦で祝おう。今日は普段通りに過ごせばいい。」
心静かに、今日もやれることをやって生きたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おやじ
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